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[コメント] コレヒドール戦記(1945/米)

アメリカの敗戦を描く珍しい切り口なのにいつもの戦記映画。見処は戦争シーンで円谷の模型が阿呆らしくなる迫力。ジョン・ウェインが歩き疲れて尻餅をつくシーンは稀少だろう。軍隊に行かなかったウェインにフォードは厳しく当たった由。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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アメリカンジョークと陽気な歌、もの知らない若年兵(ここではマーシャル・トンプソン他)、大尉と中尉の喧嘩、中間管理職の悲哀、怪我と美人看護師、戦死とハーモニカで物語転がすいつもの戦記映画。面白いのは2度ある戦争描写。開戦して戸惑う空気感はリアルで、モノホンの船と飛行機でやらかす戦闘シーンは、円谷模型を見ているのが阿呆らしくなる迫力がある。黒煙や水柱、水しぶきの密度がまるで違う。一方、冒頭の魚雷艇の演習とか被害受ける施設とか、ポール・ラングトンの少尉ひとりしか入院していない野戦病院とか、予算不足っぽい不自然な描写もある。

敗走なのにダンスもパーティもしている。アメリカ人のダンパ好きには呆れてしまう。ドナ・リードは美しいが、彼女とのお愉しみは脱線に見える。兵隊たちは出撃したくて仕方ない風で、原題に反して悲壮感はなく、何故か絶対に勝てると信じているように見える。悲壮感がないのが悲惨、という感じもしない。

フィリピンの歌手や家政婦、修理工の助手などを抜くショットは八紘一宇など嘘と晒している。ジャップが来ると閉められたフィリピン人の酒場をジョン・ウェインは無理矢理開けさせる。3万6千のアメリカ兵は20万人の日本兵にバターン半島をネズミのように追われたとラジオが報じる。あと、敵が日本と感じさせる件は、巡洋艦が「最上(もがみ)クラス」と聞いてジョン・ウェインがのけ反るところ。

老兵がこれはここに40年いたんだと云うのは、米比戦争以来ということ。このときの陸軍長官が桂・タフト協定に名を残すウィリアム・タフト。勉強になるな。当時のフィリピンは1934年の独立が約束された米自治領政府フィリピン・コモンウェルズの時期で、フィリピン人の親米描写もそれに沿っている。

「密林や太平洋の海底で眠る英霊の代わりに語る」マッカーサー元帥、とOPに字幕。原作は1942年出版でベストセラーらしい。映画は45年の12月に封切られている。「兵士は消耗品でしかない」は原作ではシリアスだっただろうが、終戦後製作の映画では余裕に見える。マッカーサーは(敗走なのに)リパブリック賛歌で讃えられる。

リパブリック賛歌はもう一度、兵をフィリピンに置き去りにして最後の飛行機が飛び立って、ウィ・シャル・リターンとラストで字幕が出るときに流れる。マッカーサーが大統領候補だった頃。製作側も心酔しているのが判る。最後に取り残される米兵たちは別に見捨てられたのではなく、現地で戦うために残されたのだと米Wikiに書いてあるが、その詳細が判らないのは映画の描写不足だろう。

魚雷を魚雷艇同士で分けている会話があり、当時アメリカは物資不足だったと語っている。なんで映画(32年『嵐の中のテス』)の主演女優を当てろの質問で魚雷を分けて貰えるのだろう。制作側の内輪のギャグだろうか。正解はジャネット・ゲイナー。

(評価:★3)

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