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[コメント] 天国と地獄(1963/日)

内と外の映画、境界の映画
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







それは冷房の効いた豪邸と(「異邦人」風な)下層街の酷暑という観念的な対照に止まらない。

冒頭からの有名な室内撮影(窓の外の眺望は現実離れした美しさ)と、これも有名なこだまの車内撮影、ここまでずっと屋内ばかりが撮影され続けるが、最初のクライマックスにキャメラは、ボーズンの8ミリとともに突然屋外を捉える。シネスコを左に流れてゆく、ここまでの精緻な撮影を転覆させるような乱暴なショット。窓枠に錯乱した表情でしがみ付く権藤と、土手で帽子を被って極端に首を曲げた共犯者は、ともにサイレント風のグロテスクが表出されてある。映画は、境界の外は異様であると説明抜きで観客に体感させる。

続く刑事たちの奔走で、屋外は観客にとっていつもの親しみを取り戻すのだが、キャメラは今度は屋内を異様な場所として捉える。刑事と運転手親子の併走で新興住宅地である小山の犯行現場にゆるゆると近づくサスペンスの結末は、逆光で中がよく見えない、ただ二人の共犯者の足が転がっている部屋に至る。

刑事たちが犯人を初めて認めるのは待合室の窓枠の向う、階段に佇む姿であるし、ピンクの煙を吐く焼却炉の中も生々しい。ラストの面会室にも境界が引かれてある。極めつけは黄金町の描写だ。この異様さ(私は子供の頃観て眠れなくなった)は境界がないことから来ている。屋外にたむろする中毒者たちに、内と外の観念を映画は認めていない。トタン張りで囲まれた路地裏がほとんど彼らの住まいなのだ。

我々凡人は境界に守られて生きている事実を、極上のホラー映画の特異さで描き出しているのだ。時系列を心得たこれら映画的な空間処理が、この作品を見応えのあるものにしている。凄い作品だと思う。

予告編で確認できるように、ラストシーンのあと、権藤は刑務所の外に出て、曰く言い難い体験を茫然と持て余す、という付け足しが撮られてある。本編でこれをカットしたのは正しいと思うが、読解力に欠けた人に要らぬ誤解を与えた(田山力哉などは金持ちの英雄礼賛などと批判している。黒澤天皇というイメージがそう云わせたのだろう)。

権藤と犯人は面会室で二重写しになる。ふたりとも負けたのだ。ひとりは会社乗っ取りに、ひとりは犯行に。冒頭、子供たちにカウボーイごっこを仕掛ける権藤を、この映画は同罪との判決を下す。ふたりとも「地獄」にいる。正義にかこつけて囮捜査をした警察とマスコミも、裁きを免れない。このラストの二重写しは、物語が積み重ねてきた権藤と警察の英雄譚を一挙に相対化し、脱臼させている。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)けにろん[*] ぽんしゅう[*] Orpheus DSCH

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