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[コメント] 姿三四郎(1943/日)

クロサワ戦後の傑作群はこの無垢の歌に対する経験の歌であったように思われる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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志村喬との対決を逡巡する藤田に向かって高堂国典の坊さんは無心になれと云う。蓮の花の回想は仏教的な悟りと近似される。これは時代の認識だっただろう。ミゾグチの『宮本武蔵』や『名刀美女丸』など、このヒット作を真似たように見える。敵への憎悪が注意深く取り除かれているのもそっくりだ。この無垢さ純粋さの賞賛という主題は『一番美しく』の兵器工場の徹夜作業で全開になる。

そして戦後、クロサワはこれを批評に晒し続けた。単純な賞賛には二度と還らなかった。『七人の侍』や『用心棒』で展開される泥臭い駆け引きは本作への批評に見える。『生きものの記録』や『どですかでん』、『』、『八月の狂詩曲』などで間歇的に吹き出す無垢と純朴は、押し潰そうとする社会との狭間で描かれた。クロサワはこの、撮ってしまった処女作にいつまでも拘っていたように思われる。

作劇は全体に派手なエピソード集の印象が強く、その間を埋める中間部の巧みさを欠いている。これはフィルムの脱落のせいではなさそうだ(脱落して字幕で補足された件も派手であり、中間部になっていない)。印象的なショットは幾つもある。年月を示す下駄や、藤田進が飛び込んだ池の見事な構図、轟夕起子との出逢いの石段の美しさ、月形龍之介との対決における流れる雲の力感。

しかし同時に間の抜けたショットも多い。冒頭の小杉義男らの大河内伝次郎への闇討ちの件は驚くほど緩慢で間延びしており退屈。道場で投げ飛ばされた小杉目がけての延々たるパンは狙い過ぎだろう。荒野で月形が投げ飛ばされるショットは全然撮れていないし、敗れて原っぱをその体躯が滑り落ちるショットはあらかじめ傾斜の雑草が滑り台のように馴らされて間抜け。致命的なのは、藤田は柔道が巧いなあと思わせるショットがないことだ。相撲取りみたいな相手との対決はギャグで逃げているが、当然投げ飛ばさなければならない。

(評価:★3)

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