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[コメント] もず(1961/日)

水木洋子の冷淡残酷が極まった傑作。針鼠のジレンマにモズの早贄とは。淡島千景の軽みが悲劇を呼び、有馬稲子の重さがこれを蔓延させている。最悪だ。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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生贄にされたのは娘の有馬なのだろう(いや母親こそが、という見方もあるだろう)。母親に近づきも出来ず離れることも出来ず、何も出来ずに八方塞がりのなかついには死なれてしまう。後悔しか残らない残酷さ。抉られるのは母親の娘に対する嫉妬であり、淡島が「あの娘に早く結婚を」とひとり呟く科白は、死の床の達観とにわかに受け取り難い。そんなことは前から判っていたはずであり、面と向かってそう云えない心理的な抵抗が、この母親の存在そのものであるから。子供が親の年齢になってはじめて判る親の心境とは、このように客観的には実に下らない、しかし主観的にはどうしようもないことなのだ。お母さん私に嫉妬しないでよと云える娘などいない。この構造的な不幸を抉るには水木の冷淡さが必要とされた。

水木にかかれば、泣くのも笑うのも気の利いたやり取りも嫌味のやり取りも全部、女という生きものの生態観察の趣がある。鍋焼きうどん喰いながらの高橋とよへの集中砲火の件は傑作(淡島との対照で高橋は「正しく」老いていると感じさせられる)。淡島・乙羽の元宝塚対決は笑わせてくれるが刹那感たっぷり(白タクの運転手! と玉の輿という乙羽信子のバカ軽さには絶句させられる。そんなんでいいのか)。鼻緒の切れた下駄を窓から投げ込んだ淡島が、帰ってきてから有馬に見せる背中の演技がまた凄まじい。一緒にいたくないけどいるしかない人間の見せる、愁嘆場を避けようと妙に明るく振る舞う態度を示して余す処がない。人間、こういう避けたい場面に何度か出くわすものだ。田舎へ帰る切符を破り捨てる有馬の選択で、この構造的な悲劇は頂点に達している。死相も露わにする淡島の壮絶さには慄然とする。この母を憎むことは禁じられている。

演出は極めて厳格、ひとつひとつのシークエンスの尺の長短が完璧と感じられる。工場のガスタンクを背景にした母子の貧乏話は、明らかに戦前の小津が意識されている。ここを始め、美術の素晴らしさは特筆もの。冒頭の盛り場をさすらい小料理屋に入るキャメラは、いったい誰の主観だったのだろう。同じ主観が死の床の淡島を見舞い、病床を反対側へ通り抜け、このキャメラに看取られながら淡島は死んでしまう。この作品は死神の目線で眺められていたのではなかっただろうか。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] ゑぎ[*]

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