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[コメント] 狼(1955/日)

観る者をペシャンコにする映画。メジャーで決して撮られない映画。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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観る者をペシャンコにする映画。55年の作品なのに、平成不況と何と似ていることか。小沢栄の部長の上手いこと。今でも人材派遣会社などにはこの手の輩がウヨウヨしているに違いない。社屋の屋上で日の丸背中に「精鋭をお迎えし」と訓示する清水将夫に相対するのは貧相な中年の男女の一群。年取ってから仕事探す苦労を描写し続けて余す処がない。家庭は愁嘆場の連続、浜村純の妻の「人と人って、お金があってこそ結びつくものじゃないかしら」という砂を噛むようなリアリズムが作品全体を覆っており、反論できない。5人の犯行後の刹那的な幸福のいちいちにペシャンコにされる。

警察に捕まった乙羽信子、次は監獄かと思うと、映画はいきなり保険会社の入社試験の回想に入る。このツナギは上手い。保険会社は監獄なのだ。乙羽らは事件を起こそうが起こすまいが、すでに監獄にいるのだった。後先を考えない犯行のドタバタは笑うに笑えない。郵便職員の解放の仕方はじめ、もう少し考えりゃいいのに(普通、覆面ぐらいするだろうに)と思うが、混乱しているし、暑いし、そんな色んなこと、この5人に考えられる訳がないのだ。

「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれに違う」はトルストイだが、本作を観てちょっと違うんじゃないかと思った。この5人の「犯罪者」、家庭の不幸は違うが、人格は何か没個性で互いに似ている。平凡な演出ならゴレンジャー並に個性を競い合う処だろうが、それがまるでない。このような沈鬱な菅井一郎を観られるのは珍しく、それだけに心打たれる。本作はまた、浜村純の代表作でもあるだろう。彼によろめく乙羽の女性心理もよく判る。ふたりが逆光のなか、影絵のように通りを逃げてゆくカットは忘れ難い。

子役はみな上手く、特に妙に大人な乙羽の息子役がいい(口唇口蓋裂の息子とその母という設定は、クッツェーの小説「マイケル・K」が思い出される)。背後の夜間学校らしい建物から流れる「月の砂漠」を聞きながら、公園で西瓜を食べる母子のシーンは秀逸。本作、タイトルバック以外の音楽はラジオやら高級住宅からのピアノなど、全て音源が示されており、その他は沈黙のうちに進められる。このタッチは確かにネオ・リアリスモのものだ。ありふれた山道を何度も映すキャメラもいい、事件性への密着度が優れている。

本作はなんと実話の映画化。いくらなんでもこんな鬼畜な会社などないとか、戦争未亡人には遺族年金が出ていたんじゃないかなどの感想は無効。保険会社が株主である日活は提携を拒み、近代映協(保険会社に脅されたらしい)はつくってはみたもののほとんど上映できなかったとのこと。劇中の元シナリオライター菅井の恨み節は本物なのだった。こういう作品がメジャーで撮れないのは今も昔も同じ、現代の『』がメジャー館でかかることはない。ペキンパーは冒頭の蟻に喰われる幼虫を『ワイルドバンチ』でパクった、という説をみかけたが、なるほどそっくり。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] 水那岐[*]

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