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[コメント] 青銅の基督(1955/日)

モニカ香川岡田とのメロドラマの原作が滝沢修の大フューチャーに改編されているらしいが正解。彼のバタ臭い大芝居にバタ臭い見応えがある。まず冒頭の水呑の件が秀逸で、これはシュニッツラー「死人に口なし」(含ネタバレ)だろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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滝沢は拷問は耐えたのに、喉の渇きに耐えかねて、柄杓の水で揶揄う役人の三井弘次に協力すると云ってしまう。いや、どうやら云ってしまったらしい。三井のイジワルは詳細に描写されるのだが、肝心のその科白はフィルムに収められていない。滝沢が意識朦朧のなか「判った」と無意識に口走ってしまったのか、三井が作り話をしたのか、決定不可能なのだ。

そのようにして滝沢は一杯の水のために、奉行所のいいなりになってしまった。これは、殺人を夫に口走ってしまったのを夫の顔色で知る妻の「死人に口なし」を製作者は熟知して応用したのではないか、というのが私の想像。とてもいい件だった。

悪役バージョンの三井はいつも通りの上手さ。あとは奉行所に利用されて転落していく滝沢の転落が段階を追って描写される。胸はだけて木の枝で叩きまくる自己処罰などキリスト教らしくて印象的。遊女の山田五十鈴の足舐める件も名ショットで、五十鈴は滝沢をユダと貶し続けるSMシーンとなった。1955年のこの変態振りは、60、70年代の邦画の嗜好を先取りしている。

キリスト教徒が自殺する話はあまりない。ユダのようには。密告をして悪魔の顔になり、武士の格好して床几に座る彼のフルショットは実に滑稽、このときの顔は見事に悪魔。ラストに一連の所業を後悔して嘆いていた。この名優の『夜明け前』と並び称すべき映画の代表作と思った。

なお、映画館のチラシには、これは敗戦後にアメリカへと転向した私たちへの風刺だと評論家が書いているのだが、渋谷がどこかでそう語ったのだろうか。そうだとしたら興味深いものだが、素で観る分にはそんな印象はなかった。

踏み絵は紙ではすぐ消耗するので奉行所が岡田英次に作らせた青銅のキリスト像。岡田はモニカ香川を想って作成したのだが本人はキリスト教信者ではない。ここから発生するだろうジレンマは何か本質に触れるものがあるやも知れない、という処で物語を引っ張るのだが、大したものは出てこなかった(原作はこの点が深いのかも知れない)。

信者たちがキリスト像に接吻して殉教を悦びながら磔になる一方、岡田はこんな像は下らないと蹴飛ばすのだが、奉行所の山形勲に難癖つけられてついでに処刑されてしまうのだった。丸ぽちゃで可愛いモニカの出番が少な目なのは痛恨だが、岡田との悲恋はどの道大したものじゃなく、こちらメインで映画つくったら駄作になっただろう。野添ひとみはさらに中途半端な登場で五十鈴と意味もなく絡んでいる。毛利菊枝の真面目なお婆さんの信者がいい。

このラストの処刑、石灰岩の谷に三段に並んだ十字架に処刑者が十五人ばかり並んで、ラストショットは人形なのが丸判りでB級ホラーみたいになっているが、そういうものとして観ると面白い。オーシマ『天草四郎時貞』(62)が連想される。

(評価:★4)

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