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[コメント] コード:アンノウン(2000/仏=独=ルーマニア)

イジワル爺さんが何故私はイジワルなのかを告白しているのだが、それは極めて真摯で切実なものだった。25年後の『ヒア&ゼア』はパリだけで撮れてしまったのだ。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最初に偶然出会った数名の、枝分かれするそれぞれの人生を追いかける。この天国(アンヌビノシュ)と煉獄(アマドゥOna Lu Yenke)と地獄(マリアリュミニータ・ゲオルギュー)は、人種によってそれぞれの小宇宙を形成している。同じパリなのに、『ヒア&ゼア』のパリとパレスチナのように、お互いに通じ合える回路をまるで持たない。

冒頭の少女による、解が判らないゼスチャー・ゲームという謎かけからして徹底している。彼等は多国籍であり聾唖者だ。彼等の見事に息の合ったドラム演奏は本作で示された唯一の希望であるが、これに乗って示される収束は殺伐としている。生半可な解決編など不要とばかりにリアリズムが押し通される。

最初に加害者である義弟を庇ったビノジュは、因果応報のように最後には被害者になる。最後の地下鉄で彼女に唾吐くアラブ人の青年(「この都会に一人ぼっちで何ができる」)は、義弟と肌の色以外はそっくりな顔をしているのが念が入っている。このアラブ青年を諭した中年男性もアラブ系であり、ビノジュが彼に礼を云うまでに長い長い間がある。これは同族への心理的葛藤だっただろうか。それでも一言礼を云ったのは本作の数少ない救いだった。

故郷で学校に勤めていたのと偽り、最初と最後に同じ路地に乞食の場所を求めるゲオルギューの切なさ。マンションという天国に帰るビノジュは最初に彼女と袖振り合ったのにまるで関心など持てずにいる。唯一戦地を知る亭主のティエリー・ヌーヴィックは最後に天国への暗証番号を失う。これは映画が与えた罰に違いない。彼は他国を放浪しなければならないのだ。

ハケネのその他の作品の多くは、この天国へのイロニーで綴られているのだ。ビノシュはカソリックの葬儀に出るが、泣いている老婆と並んでも無関心でいる。ハケネの云いたいのはこうに違いない。「あなたは寄留の他国人を虐げてはならない。あなた方はエジプトの国で寄留の他国人であったので、寄留の他国人の心を知っているからである」(出エジプト記)。ヌーヴィックの父を訪ねた女性を襲うとんでもない砂塵がこれを想起させた。寄留の他国人の心を知らない者は、顔に唾吐きかけられて目覚めるだろうか。さらに頑なになるしかないのだろうか。カンヌ人道賞に相応しい傑作。

(評価:★5)

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