コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ビッグ・パレード(1925/米)

ビデオの前口上で淀長さん曰く「これはあらゆる戦争映画のなかのNo.1です」。ホントかよと思いつつ観たら、なんと本当だった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本作はサイレントなのに戦争を音で示している。冒頭、ビルやらバーやら色んな場所で働く人々に一斉に戦争を告げるのは蒸気の汽笛だ(『十月』(28)ほかソ連の革命映画みたいなのだ)。汽笛は進軍パレードのマーチに連なり、主人公のジョン・ギルバートはマーチに合わせてステップを踏む。この足のアップは極めて印象的である。彼等は云わばノリで参戦するのだ。アメリカ人はノリで戦争しているのに100年前から自覚的なんだという発見がある。ラストの静かな牧場と好対照の世界がある。

映画はひとつひとつのシークエンスをじっくりと撮り続ける。藁草の詰み上げとかケーキの三等分とか、どうでもいいような処まで長いのだが、それだからこそ、樽を被ったギルバートとルネ・アドレーの出会いはサイレント・コメディの愉しさがあり、ふたりの別れはパッションに溢れている(キノシタは『陸軍』を撮るときにこの件を思い出していただろう)。アドレ―は最後、ダンプに乗ったギルバートの片脚にしがみつき、脱げた靴だけを抱きしめるのだが、ギルバートは戦争でその片脚を失うのだった。

米仏の言葉の通じない男女の愛らしいデート、これは後半の西部戦線、ギルバートが捕えたドイツ兵を殺せずに煙草を咥えさせる際の、米独の無言の目線の交換に引き継がれている。この若い、歯の白いドイツ兵はハリウッド映画史上有名な端役に違いない。この対照の絶妙さで本作は名作になったと見える。

ラス前は、お母さん片脚になって戻りました、というパッションは撮影が怜悧であるためセンチメントの印象はない。全般にロングショットとバストショットの細かい繋ぎが絶妙であり、すでに現代的。元恋人は最初から否定的人物なので、ラス前の裏切りは無理はない。この冒頭の「戦争だって、とっても興奮しない? 貴方も軍服似合うわよ」という科白は凄いものがある。そういうノリなのだ。

アメリカ軍人の父なし子は世界中にたくさんいるのであり、フランスの田舎娘をモノにするアメリカ軍人という設定はある意味顰蹙ものなんだろう。フランスで本作が低評価なのはそんな含みもあるのだろう。片脚になったギルバートを受け入れるアドレ―の心情はとても美しい。アドレ―は淡島千景に(尾崎亜美にも)ちょっと似ているが、別に美人じゃないのがいい。のっぽでギョロ目のカール・デーンは余りにもドナルド・サザーランドに似ており、もちろん逆の影響関係があるのだろう。ラストで反復される小物のチューインガムは、当時フランスにはなかったとのこと。本作は戦争映画のシリアスな訴えをすでに提示し尽くしており、以降の戦争映画はどれも本作の変奏、脚注に過ぎないように思えてくる。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)ゑぎ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。