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[コメント] 生きてはみたけれど 小津安二郎伝(1983/日)

オヅの言行録が山ほど出版されているなか、特段の見識のない薄味で総花的な記録だが、ご兄弟や俳優たちのインタヴュー、代用教員赴任地等の映像は貴重だろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画は冒頭「なぜ苦行に似た様式を守ろうとしたのか、なぜ結婚、学校、親子の問題に拘り続けたのか」と問い、墓石の「無」の字を写し、『秋刀魚の味』『晩春』『一人息子』の孤独なラストが引用して、岸田今日子がオヅ自作の、母の遺骨を高野山に収めに行った詩を読む。この詩は迫力があるもので、この朗読が本作の主張。しかし、あっさり提示し過ぎたきらいがある。タイトルも違和感がある。

以下は私が面白かった箇所。妹の山下とく氏は、松竹入社を父は反対したと云い、弟信三氏は「河原もんの一種ですからね、当時」と云う。昔の芸能が河原者とは常識に属するが、それを知る人の口から差別ぎりぎりで云われるのは強烈なものがある。そういう世代にオヅ自身も属していたのだった。作品を観間違えたお祖母さんの家族への報告「活動屋なんか恥ずかしいから名前をシマヅ(ヤスジロウ)に変えていたよ」も同様。

笠智衆は『父ありき』で「お能の面で行ってくれ」と云われ、淡島千景麦秋』でリハを二十何回も繰り返されて「前の前の前がよかったからそれでいこう」と云われれ判らず、『早春』で「先生なんで何度もテストするんですか」と問うた岸惠子は「それは君がとっても下手だからだよ」と返され、『彼岸花』で有馬稲子は、「行くの」「く、が高い」「行くの」「く、が下がった」「行くの」「また上がった」という演出を受けて弱ったと云う。

木下惠介の初助監督は『非常線の女』。シンガポール抑留からの引揚の順番決めでオヅが云った「俺は後でいいんだよ」がオヅ映画そのもの、それが彼の正義感なのだという新藤兼人の発言。山田洋次は、松竹の先輩監督たちは一流のものしか相手にしないブランド志向で、古典芸能の教養は抜群で、映画もそういう世界だったと語る。本物好きは多数が証言しており、有馬も一流旅館の茶碗を借りてその配置で半日かかった、とも語った。オヅが映画監督を志すきっかけとなった作品は『シヴィリゼーション』。

(評価:★3)

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