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[コメント] 夏の遊び(1951/スウェーデン)

鬱の感染を語って底無しのペシミズム。ゴダールがこれ好きとはそのまんまである。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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マイ・ブリット・ニルソンが島を再訪した途端に出会う寺山映画みたいな妙な婆さんの強度凄まじく(ビルイェル・マルムステーンの伯母がまだ死なずに生き残った姿なんだろうと後に判る)地獄巡りが的確に予言される。そして回想のマルムステーンの昏さも破壊的だ。先天的に昏い男と明るい女の関係、という設定自体にゴダールは近しさを感受したのだろう。ニルソンはマルムステーンに語る。「眼の潰れた子猫が好き。不細工な人や器量の悪い赤ん坊も」。マルムステーンが好きと間接的に語っているのだが、なんという三段論法であることか。この青年が徐々に明るさを得て行く過程がまた寂しい。彼の描くアニメの陽気な残酷さ。

叔父のゲオルグ・フンキーストもまた就寝時に棺桶入りのドラキュラみたいなワンショットで存在の昏さが表出され、ニルソンへの「自分の周りに壁をつくりなさい」なるとんでもない教えに至る。飼い主がいないのは可哀想とマイムステーンの飼犬を殺すふたりの会話でペシミズムは極北に振れた(殺害はありがたいことに写されない)。

ショットはどれも物凄い力の入り様であり(バレエの控室だけ力を抜いている具合)、それらが全てシークエンス毎に、陽と陰のどちらかを志向して制御されている。幼く明るかった自分の思い出の場所巡り、とはメロドラマの平凡な演出だが、これが的確な光と影でこの抑揚に収まり続け、ニルソンも今やふたりの鬱を引き継いだのだと語って余す処がない。バレエ練習場の小部屋の寂寥たるや箆棒。続く広間に叔父が亡霊のように佇んでいるのがまた凄い。本作、幻覚ショットは使われないが、ここなど後年のどの幻覚よりも的確に悪魔を射抜いている。

ラストの幸福への転換は取ってつけたようで無理矢理だが、これ以上は主人公が哀れ、という「小僧の神様」みたいな作者の心遣いなんだろうと受け取った。

(評価:★5)

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