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[コメント] エンペドクレスの死(1986/独=仏)

これも現地でコスプレした朗読劇で上映時間はついに2時間越え、俳優は間断なく喋りまくり、脚本の字数は映画史上最多を競うのではないかと思われる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ヘルダーリンの悲劇の完全映画化の由。「エンペドクレスの死については、エトナ山の火口に飛び込んで死んだ、馬車から落ちた際に骨折しそれがもとで死んだ、などの説が残されているが真偽ははっきりしない。フリードリヒ・ヘルダーリンは神と一体となるためエトナ山に飛び込み自死を遂げたという説を主題に未完の戯曲『エンペドクレス』を創作した。ホラティウスもその『詩論』でこの説について言及し(第465行)「詩人たちに自決の権利を許せよ」と謳っている」(Wiki)。神に近い者の死に様が描かれ、イエスの物語に近接しつつも自由、ヘルダーリン版ソクラテス、ツァラトゥストラの趣がある。

執政官の娘と友人の娘が、エンペドクレスが囚われたのを嘆いている。「あの人の水薬で私の命は蘇った」。一方、執政官は神官と議論、「荒涼のなかで暮らすのは自分を神と名乗った罰だ」。そして本人、陽光に呼びかけるように「私の命の泉は尽きた。神に愛された日々は過ぎた」。弟子が登場「なんで哀しまれる」「かつては神聖な土地で花とともに生きていたのに」。

エンペドクレスの前に執政官と神官が市民(三人なのがミニマム)とともに登場、「偽善者め」と責める神官に彼は「神聖で商売する者たちめ」と反撃、「神聖な死の道を行かせてくれ」。

石段に三人の召使(奴隷だろうか)、エンペドクレスは「家で一番いいものを持って逃げろ。人間には浮き沈みがある、上手くやれ」と解放する。空の階段が映される。別れの磁場が劇を引っ張る。執政官の娘と友人の再登場、父にお願いをと首から下だけのショット。ふたりとエンペドクレスは舞台で一度も交わらないのは、何か狙いがあったのだろうがよく判らなかった。

山男が登場し、エンペドクレスと弟子はエトナ山登り。5人の男がついてきて、市民が許しを乞い、神官が批判される。この市民は突然の心変わりに見え、ドラマとしてのタメがない。原作は抜粋されているのだろうから、この描写は厚みを欠いた。しかしそもそも、ドラマなんかいらないのかも知れない。会った途端に圧倒されるような、エンペドクレスの神聖が強調されることが重要なのだろう。

雲がかかる青い山脈がエトナ山だろうか、まだ随分遠い気がする。陽光は差したり翳ったり。「再び戻らぬ者は真実を語る」と詩が朗読される。「霊の代弁をした者は然るべく去る。人々は神聖を再認識する」。ここはいろんな復活劇がWる。

喋り続ける俳優はバストショットでしばしば目線を落とすのだが、これってアンチョコ見ているんだろうなあと思ったことだった。喋る者がフレームを立ち退くと、背景の鮮やかな緑に驚かされる、というショットが幾つもあった。そして鳥が、物語の進行とまるで関係なく鳴き続けている音声が、主題に合致して絶妙だった。あの音色こそが神聖なのだろう。OPとEDはヴァイオリンが咽び泣く。

(評価:★4)

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