[コメント] 万引き家族(2018/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
今、久しぶりに映画らしい映画を見た満足感にひたっている。ひとつひとつのショットが映画的興奮に満ちている。これぞ映画である。
それにしても、映画とは見てみないとわからないものだ。「万引き家族」というタイトルと予告編から、万引きで生計を立てている一家の話と思い込んでいた。一家は、そのような一家ではなかった。リリー・フランキーは日雇いの仕事に毎日行っているし、安藤サクラはクリーニング屋で真面目に働いている。「万引き」は、生計を立てる手段ではなく、働いても働いても浮かび上がることができない人間たちの、足りないものを補うささやかな抵抗であったのだ。そのことが、僕の胸を打つ。
秀逸なショットが多い。音だけを楽しむ花火大会はもちろんだが、ラムネを飲みながら商店街をあるく安藤サクラと少年。すれちがう幼稚園児(小学生?)の集団。また、セミの幼虫のショット。そこにかぶさる「がんばれ」の声。アパート前の小さなスペースで作られる雪だるま。
設定もいい。小さな窃盗を黙認しあうことで友情で結ばれていたと思っていたクリーニング屋の仲間。ところが、相手はそんなことは微塵も思ってなく脅しにかかってくる。それを聞いたときの安藤サクラの表情がいい。「ああー、やっぱり私は世間とはつながれないんだ」という絶望感が一瞬だがよく出ていた。一方、駄菓子屋の老人、万引きどころか一家のことなど無視しているかのようだったが、すべてお見通しで、やさしく気づかってくれる。この対比が、世間と一家の関係の微妙さをよく表していた。
映画の中で、とりわけ見事なのが安藤サクラの演技。正論で諭そうとする女性刑事(池脇千鶴)に対し、「この人になに言ってもダメだ」と早々と勝負を放棄し、感情を押し殺しながらも流れ出る涙をどうすることもできない場面。素晴らしかった。
さて、この映画。ラストをどうするのだろう。バスを追いかけるリリー・フランキー、バスの中から目で追う少年。そこで少年が停車ボタンを押す映画でないことはよくわかっている。ではどうするか。映画はこれしかないラストを見せる。マンションの踊り場で遊ぶ女の子。口ずさむ歌は一家と暮らしているときにお風呂で歌っていた歌だ。女の子は台に上がって外を見る。僕には、それが誰か救いを求めている消極的な「覗き」ではなく、「外を見る」「外を知る」「外へ行く」という闘いの開始に見えた。
映画の中に出てくる「スイミー」(絵本)は、孤独に押しつぶされそうになった小魚が、外の面白さを知ることによって元気を取り戻す物語である。
見事な映画だ。これぞ映画である。私も外に出ようと思った。
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