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[コメント] かぐや姫の物語(2013/日)

高畑勲監督が『竹取物語』の物語要素だけでなく、その背景にある仏教的思想などの時代背景も含めて本作を手掛けたのだろうと思われる点に素直に感心した。
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ジブリ作品といっても古典文学の作品の様相を呈していたので、どちらかと言えば日本昔話的なクオリティかと思ってた。ただ、一応文学をかじっていただけあって本作の元にある『竹取物語』を忠実に描く部分と物語の展開的に誇張して描く部分、その辺りの描き分けっていうのも一般の人よりも知識は持ち合わせているつもりなので興味深く鑑賞できた。

日本最古の物語である『竹取物語』。この作品自体が作りとして仏教思想が根本にあるわけだが、間違いなくその辺りはしっかり理解した上で本作は制作されたのであろうことは感じられた。 極楽浄土思想からすると月は天上界のはずだから、そこから地上に下ろされたこと=罪を犯したことであり、地上=輪廻転生を繰り返して悟るための修行の場であるのだから、かぐや姫の地上に下ろされた目的は喜怒哀楽の煩悩から解き放たれて解脱することなのである。 かぐや姫は煩悩を捨て解脱せねばならぬ身であるはずなのに、懐かしい風景だの聞き覚えのある歌だのに捉われてしまった。それこそが天人としての罪である。その辺りもサラッと説明を入れてあって理屈的にも問題なかった。知らないはずの歌、見覚えのある風景など、伏線もしっかり挟まれていた。

故郷の地上を惜しみ、修行のために下ろされ、翁と嫗の元ですくすく育った。近所の子どもと一緒に自然や生き物達と関わりながら素晴らしい伸び伸びとした生活を送るのだが、成長するにつれてかぐや姫の望まない高貴な身分の人へと養われていく。 都に住む人間は煩悩に捉われた人間であり、現代を生きる我々の象徴でもあるだろう。人としての醜さが徐々に露呈されていく。人間の変化に気づいて駆け出すシーンのタッチの荒々しさはアニメーションらしさが出ていて好きなシーンだ。 そして桜の下で舞うシーンも見事。しかし、それと同時にかつて同じような身分だった家族に頭を下げられることで実感する身分差。あの後のかぐや姫の冷たく闇を感じる眼差しときたらない。

そして本能の赴くままに月に助けを求めるくだり。誤解してはいけないのは地上の醜さに嫌気がさしたから迎えが来るのではない。それでも尚、やはり自然が、生き物が溢れるこの地球が美しい、愛おしいからこそ芽生えた生きとし生けるもの衆生を全てありのままに受け入れること。つまりそれこそ煩悩を逸脱した悟りであり、解脱である。天人として迎えるに相応しくなったからこそのお迎えなのである。しかしこの矛盾の切なさは計り知れない。

翁を悪く思う人もいるかもしれないが、『竹取物語』の「かぐや姫の昇天」では「身を変へたるがごとなりにたり」とあり、その辺りは結構忠実。それどころか古典作品を読むよりも翁のかぐや姫を思っての所業と解しやすい点は映像化したことによるポイントでもある。 冒頭の天人のような服装も自分の今までのイメージとは違う部分で、「なるほど、それもありだな」って思わせるものだったし、ジブリ作品として見るというよりも高尚なアニメーション古典文学作品として見るとかなり高評価したい作品だった。

(評価:★4)

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