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[コメント] リップヴァンウィンクルの花嫁(2016/日)

「どこか心の隅で何かを待ってるんです」東京物語(1953)
週一本

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「どこか心の隅で何かを待ってるんです」というのは女性だけでなく誰でも心に持っている願望であると思うのだが、女性でいえば白馬に跨る王子であるかもしれないし、詳しくないがハーレクインというものもそうなのか?(と言ってしまうと昨今では女性軽視などと言われそうなのですが、、)

この映画ではその何かは綾野剛演じる安室なのだろう。

安室により七海の日常は破壊される、しかしその日常とは実際破壊されるべき日常であった。東京物語の原節子が未亡人として暮らす日々に実際は強い寂しさと言いようのない不安を感じていたように、七海も日常のネットのマッチングサービスでお手軽に見つけた相手との結婚生活に何の価値も見いだせてはいなかった。

この七海の日常の破壊を描く初めの一時間は非常にきつかった、一方的に世間を卑しく冷酷に描きヒロインの不幸を煽る展開に「おう岩井よ、オメーいい歳してまだこんな映画撮って満足しとるんかオウ?」と内心思っていた。結婚式の場面は怖気がした。七海が街を彷徨いバッハが流れてきた時には「おう岩井、こんな演出は作家として自殺行為だぞ」などと自身の立場も忘れ説教したくなった。

しかしこの映画はCocco演じる真白の出現からがぜん面白くなる。偽の家族を他人と一緒に演じる場面はなにか異様な高揚感に包まれている。ここから現実と虚空のラインが曖昧になる。しかし感覚とは、主観とは恐ろしいものだ。現実とは何か?私が認めたものが現実である。例えそれがマトリックスのなかの幸福でも。無二の親友のようで新しい恋人でもあるような真白の言う「この涙のためなら命も捨てられる」という言葉だって実際には死ねなくても死ねると思ったこと、思えたことが全てなのだ、それが二人の関係性においては偽りではない全くの真実なのだ。 あのウエディングドレスを二人で着てワチャワチャするシーンなんてホント実際なんも大したものでもないのだが、それでも幸せに肯定的にとらえてしまう。この時点で見事に作品に嵌まっている自分がいる。

そしてこの作品は破壊と再生の物語である。真白の死、あのとき七海もまた実際死に最も近づいた瞬間だった。本人は知らずとも、一度死地にいたという事実が彼女の再生を促すうえで物語としても非常に大切な終点からの始発点となっている。

七海は新たに一人暮らしを始める。それまではオンラインでの家庭教師もオドオドしていたのに「東京きたらウチに泊まる?案内してあげようか?」とどこか自信がついたような彼女が非常に爽やかで気持ちがいい。生まれ変わったのだ。

そして前後するが、やはり真白の母親との対面、あのシーンだ。俺はあの場面を「裸供養」と名付けたいのですが、、あの場面は本当に素晴らしくて生涯忘れることができないだろう。あそこで安室を号泣させすっ裸にしたのにも本当に感動する(綾野剛は役者として完璧な仕事でした)。それまで所々塩演出をみせてきたところでこの裸供養ですから「岩井さん狙ってんのこれ?」って思う。こういうところまで虚(ニセ)と現実(ホンモノ)を演出してるの?と深読みすらしてしまう。

実際はだかになってわかる、はだかは「やっぱり恥ずかしい」「超恥ずかしい」、、理解できるから思いやれる、真白は、娘はAV女優の仕事を命がけでやっていた。

最後にあんまり関係もないことですが、俺は映画を見たときにその中に一つでも一箇所でもイイと思えたところがあれば、それは見てよかった映画だと考えるようにしているのですが、その点からもこの作品「ないわー」と思うところも多々ありますが、やはりあの「裸供養」、あんなとびっきりのシーンが一つあれば映画は十分傑作足りうると思うし、やはりそうした人間のホントの性を描こうとした岩井俊二の心意気は大したものだと感服しました。

(評価:★5)

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