[コメント] イレイザーヘッド(1977/米)
レバー男にしろ瘤女にしろ、理性だとか狂気のメタファなどと簡単に説明できてしまうあたり、後作の混沌と比べて逝きっぷりに物足りなさを感じるが、「おかえりなさい」と言わんばかりな瘤女(狂気)との抱擁の不気味キュートに作家性が収斂される(このシーン大好き)。狂気・不快は時に甘美だとするスタンスは古典的に挑発的で、表現に一切迷いがないのは偉いとしか言いようがない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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リンチ作品に頻繁に現れる「穴」。ここでは、「穴」への侵入の行く先は「胎内」やレバー男の居室、瘤女のステージなどへ続いている。「穴」を介した世界は内面への回帰のイメージで一貫しているように思う。
一方、「穴」から「出てくる」のは血や「泡」、「赤ん坊」などの「壊れた」イメージばかり。
ジャック・ナンスの立ち居は終始ぎこちない違和感を醸し、相手に甘えた覚束ないものを感じさせるが、それらのどこかマザコンぽいイメージや前述の要素と相まって、「戻るべきところへ戻りたい」→「回帰」→「母なる狂気」という連想が頭をもたげてくる。
だから、ラストの抱擁では「ようこそ」ではなく、「おかえりなさい」と言っているように、私には思える。そして、リンチの母は、やはり狂気なのだと。
ジャック・ナンスの狂気のルーツは珍しいものではないが、そのシンプルが普遍性を示しているという好意的解釈も可能だろう。ほとんど古典と言ってもいい。
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