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[コメント] フレンチ・コネクション(1971/米)

フリードキンは「正義」という仮面を被った暴力衝動や焦燥を、街の耳障りな轟音に託して描くのが巧い(特に高架下、地下鉄)。これに不協和音混じりの鼓膜を引き裂くような劇伴、正義が享楽と暴力の言い訳に変質しているドイルの脂汗を映すシャープな撮影が重なる。その歪で下品な「和音」感。ハックマンは下品で適切なお仕事。廃屋は黒沢清もびっくりのクオリティ。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「喰って呑んでぶん殴って女を抱けりゃいい。ぶっ放せればなおいい。正義はその方便」といわんばかりのドイルの造形。さりげなく象徴的なのが尾行シーンにおける、美食を貪るシャルニエと戸外で寒さに震えるドイルの対比描写。ドイルが苛立っているのは、余裕綽々の敵への怒りではなく、自らが指をくわえて冷めたピザを頬張ることへの屈辱感によるものだ。ポーズに過ぎない「職務=正義」の卑しさを見せる典型的なシーンである。

「下品さ」で言うと印象的なのが、ドイルが車を暴走させるシーン。フロントガラス越しに正対してドイルの顔面を捉えるのだが、その唇はどうみても「ファック!」を連発している。しかし、それは高架下の轟音にかき消されて聴こえない。ここは巧いと思う。

「喰って呑んでぶん殴って女を抱けりゃいい。ぶっ放せればなおいい。正義はその方便」。「正義」をふりかざす対象者の「索敵」に汲々とするドイル。ドラッグの密輸に利用された中古車を解体するシーンでは、最終的に「ブツ」が発見されるというエンターテイメント性が担保されるものの、なかなか見つからずに焦りまくるさまを、「大量破壊兵器」探しに汲々としたアメリカを重ねて観ると面白い。ラストの一発の銃声も、結局何をやらかしたのか、誰もわかっちゃいないのだ。

同士討ちを誘発した上で亡霊のように蒸発するシャルニエ。狐につままれたような余韻を残すが、地下鉄でドイルを巻いた際に舌を出して見せる仕草といい、(こいつははこいつで「悪」ではあるのだが)、「正義」に対して嘲笑的でなかなか面白い。

演出は、撮影の凄みも当然ながら、エンドクレジットのはじめに音楽担当のドン・エリスを持ってくるあたりからもわかるとおり、音楽・音響に依るところが多い。オープニングの轟音と不協和音の劇伴からして腰が抜ける。『エクソシスト』の音響も、とてもいいんですよね。とにかく耳障り。快なる不快。あと、編集もいいんですよね。

ところで、wikiによるとアドバイザーとして携わった刑事は、丸腰の殺し屋を射殺するシーンに反発してアドバイザーを降りたといいます。きわめて「適切」な描写なんですけどね。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ペンクロフ[*] けにろん[*]

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