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[コメント] ジョーカー(2019/米)

徹底的に、執拗に繰り返される問い。Why are you so serious? あるいはWhat is so funny?「笑い」は混沌に突き落とされ、相対化され、脱構築される。彼を狂っていると言えるのか。なあ?笑えるだろ?「笑えよ。」
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







全ての、人物が笑う、ジョークが展開される場面、あるいは「笑えない」場面ですら、「どうする?笑うのか?笑わないのか?同調するのか?しないのか?何故笑った?何故笑わなかった?」といった調子で、徹底的に選択と、振り返りを迫られる。冒頭の、 感情と引き裂かれた「発作」でしかないアーサーの「笑い」が提示され、「笑い」の意味が早々に、粉々に破壊される(ブラボー!)。わずかなピュアな笑いは拒絶され、相対化される。チャップリンの喜劇すらも。あれを見て笑っているのは、何者だ?(ピュアなんてものが、あっただろうか?)。何に笑い、何に笑わないのか。笑いが人を定義する。再三挿入される鏡。鏡に映されるのは、私達だ。アーサーの見た姿と、同じものが映っていないか?。歪んだ笑いを、享受していないか?

「笑い」は相対的なものでしかない。彼に言わしめるように、時代と環境、「主観」によって変容してしまう。今、何が「笑える」のか。そして、その「笑い」への同調(Applause!)は時として暴力、権力としてすら作用する。邪悪な共感作用としての「笑い」。テレビショーの司会者の傲慢な「ジョーク」、笑う暴徒により炎上する街、なにもかも、平等に、「可笑しい」のだ。「笑い」はグロテスクな生き物だ。その生き物を征服し、飼い慣らすものは王になる。あるいは、その意思がなくとも、ただそこにいるだけでも、王の要件を満たすのかもしれない。司会者の革椅子、アーサーの背後で暴徒が炎を背にして掲げる椅子。同等の存在、玉座の暗示。

笑えるのか?笑えないのか?「笑っていいのか?」その笑いは何に成り立っている?傲慢?偏見?地位?誰かを知らずに傷つけていないか?「可笑しい」ってなんだっけ?「笑い」とは「暴力」だったのか?お前に「笑う」資格はあるのか?「笑い」とは何か?執拗な問いに攻め立てられて、鑑賞後には「笑い」を忘れてしまう。

この世界に「本当の笑い」は許されないのか。笑うしかない、世界は悪い冗談なのか。答えは混沌の中に突き落とされ、ただ誘惑的に諦念の甘やかなイメージが提示される(禍々しい陽光とスローモーション)。勿論、反駁すべき、あってはならない映画なのだ。しかし、彼と共に笑うことが、確かに誘惑として作用する、苦い時代に我々は生きている。あるいは、今までも、これからもそうなのか。危険な映画だと思う(→むしろ、危険とすべきではないとするマイケル・ムーアのメッセージは中々に含蓄があるので、検索していただきたい)

※ 地下鉄の悪夢的なイメージや、ステージに見立てた階段の使い方など、画面造形上も見所たくさんで書ききれない。ブルース(バットマン)との異母兄弟かも、なんてミスリードも巧妙で、結局なんの関係もない、何者でもない、って匿名性が担保される展開が良い。ただ、ノーランのジョーカーに繋げるなら、口を裂くシーンは欲しかったところ。

※ 監督のフィルモグラフィはメインがコメディで、これを撮った後どうするつもりなのか若干心配になる。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)ざいあす サイモン64 ぽんしゅう[*] おーい粗茶[*] 週一本[*] たろ[*] セント[*]

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