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[コメント] 県警対組織暴力(1975/日)

「県警vs組織暴力」ではなく「県警with組織暴力」といった手触りの開幕から次第に「vs」に至らしめるのは、「戦後的なるもの」を葬り去ろうとする「60年代」という「時代」。仁義も大義も時代の転換期に古びた言い訳と堕し、文太松方のブレた遠吠えは、「こんにちは赤ちゃん」の快哉にかき消される。ここでも男は時代に殺されたのである。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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戦後闇市秩序から東京オリンピックや万博に至るまでの日本を、敗戦の記憶と戦後秩序を「負の記憶」として一掃し初期化しようとする詐術的指向と押井守が総括している。この白々しさを感じ取っているからこその「闇米」とか「ヤクザ以外の悪い奴ら」に関する言及なのだろうが、そこに仮に本物の大義や仁義があったかなかったかに関わらず、これに対峙するかたちで「詐術的指向」への「暗黙の了解」を重ね、高度経済成長に夢を結ぼうとする「時代」は強かったのだった。「どこに出しても恥ずかしくない街に生まれ変わる」ため、文太や松方の汚濁は梅宮の清潔に淘汰される。「こんにちは赤ちゃん」は時代の凱歌であり、「赤ちゃん=新生日本」は「浄化」の上に成り立っている。「こんにちは赤ちゃん」をバックにしたチンピラの死の凄まじいアイロニー。間違いなく本作ベスト。

文太が松方を撃った際に顔を歪める。情もあるのかもしれないが、自分を撃った気にもなったのだろう。常に流れる通奏低音=「何処でどう道を間違うたんかのう」。彼等は間違えたのだろうか。おそらくそうあるしかなかったのだろうし、殺し、殺されることも定めだったのだろう。その背後にはいつでも「時代」が控えている。

仁義の墓場』に比べてテーマが拡散しているように思うし、思いのほかユーモラスなモチーフがアンバランスな気がするが、これはこれでと思う。キャスティングの逆転は、手塚治虫先生が自らのスターシステムを逆手に取るのと同型でいい味ですね。

(評価:★4)

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