[コメント] リトル・ミス・サンシャイン(2006/米)
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そもそも、美醜の基準などどうでもよい私には、ぽっちゃりだろうが何だろうが端から明らかにかわいいアビゲイルに何故気づかんのだ、何故そういう振り回され方をするんだ、と腑に落ちない描写の連続であった。美醜や勝ち負けのつまらない線引きに拘泥して混乱している家族描写からして価値観が古すぎるというか、有り体に言って単に賢くないだけの家庭に感じられる。何というか、「愚かさ」に魅力がない。まずこれが致命的で、「とっとと目覚ましなさいよ。というか目を覚ます方向にお話が進むのよね。善い話だわ」と醒めた目の私はどうにも話(バス)に乗れないのであった。
価値の破壊を背負わせられるじいちゃんの造形も紋切り型で、不器用感が足りない。プロットありきでキャラクタが「設計」されてる感があり、「設計」という行為自体は些かも否定しないのだが、もう少しプロットに働きかけて動かす力があってもいいはず。
これは好みの問題だが、群像の屈折に、たとえばウェス・アンダーソン的なほろほろとした切なさや笑いに押し殺されたガラスのような繊細さが足りない。そもそも笑いの描写が微妙だ。これはオフビートとは言えない。オフビートをやるには善意に溢れすぎている。アルトマン、P・T・アンダーソン的な悪意や天の邪鬼な慈しみがあるわけでもなく、深みは生まれない。偽悪者役はどう転んでも無理なグレッグ・キニア等役者も残念だった。特に母親役は見ていていたたまれない。
ラストの感動はプロット的には否定しないが、もっとノリノリスピーディに下品に撮れよと思う。アレではじいちゃんが浮かばれない。これは「覚悟」の欠如だろう。「口当たりの良さへの配慮」という要らぬお世話。
(余談)ポール・ダノは本作の後に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で株を上げてくれたのが嬉しい。
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