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[コメント] 乱(1985/日)

幻想的なまでに凄惨。凄惨なまでに幻想的。漆黒の鎧兜の餓鬼と餓鬼が喰らい合い、硝煙と、残忍な程鮮やかに閃く旗印、炎と血の海を蒼白の幽鬼がさまよう時、綺麗事を嘲笑うように無常と惨は美を現出してしまう。そして「関係性」の死屍累々。人は何故悲劇を求め、観るのか。黒澤、渾身の回答。死すべき古典は、今なお永らえている。だからこその傑作である。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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硝煙に包まれた居城を取り巻いて放たれる銃撃が、倒錯的な美しさをみせる。武満楽曲は、あくまで個人的にはだが、ショスタコーヴィチに比肩する素晴らしさ。城内裏切り蜂起から太郎の暗殺まで無音というのも、もうたまらないポイントである。完璧である。完璧であるといったら完璧なのである。カッティングのタイミングやひぐらしの鳴き声の禍々しさなんて信じられないほど素晴らしいのである。素晴らしいったら素晴らしいのである。遺憾ながら私たちは血と無常を美しく感じてしまう。黒澤はそのことを理解していたのだろう。

そもそも、最初のショットだけで戦いてしまう。晴天にも関わらず黒気が立ち込めている。むしろ晴天だから、だろうか。足元がぐらぐらし、自分がどこにいるのかわからなくなる。ロケーション、衣装は時代考証を半ば無視しているように見える。「日本」であるようにも見えるが、「ここが″どこか″である」という特定的表現への興味は、黒澤にはなかったのではないか。それも、「ここが″どこ″でもない」ではなく「ここは″どこでもある″」という普遍的表現への指向性を強く感じる。天候、音楽の徹底的なこだわりが現出する色彩の超時代感。グローバル市場への媚びなどという下らない指向性でこんな凄まじい画は撮れない。「普遍的な悲劇」を目指した結果だろう。

あらゆる関係性、主従、縁(えにし)が破綻していく様を呆然と眺める他なく、有機的に見えた関係性も敢えなく破壊されてしまう。だから、私は「小さいときからこいつのお守りばかりしている」という狂阿弥の嘆きとも愛の告白ともつかない台詞で決定的に動揺する。

血の通った関係性が存在しないという悲劇(例:次郎と末の方の関係性の空虚感)、一歩進んで、深く関わりを持とうとすれば殺しあうしかない、という風景を描くために無駄に費やされたショットが一つもない。人の配置の「距離感」の完璧さは壮絶なものがある。この、深く関わりを持とうとすれば殺しあうしかない、という風景が未だに古びていない、むしろ切迫した問題として生きている衝撃。

つまり、これは今も息づく古典である。だからこそ、この作品の息の根を止めたい。この言葉を以て、最大級の賛辞としたい。

蛇足:鉄(くろがね)ってカッコいいネーミングだなあ・・・井川のみならず、何故か根津が好きで仕方ない私には、次郎のキャスティングも嬉しかった。

(評価:★5)

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