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[コメント] ブレードランナー(1982/米)

自分が誰であるか。「おもいで」と「愛」をかき集めるレプリの姿に決定的に心打たれる。「わたし」を根拠づける記憶や彼を記憶する者達が破壊される時、人は自分が誰であるかを見失う。まっさらな状態に差し戻された孤独な肉体を酸の驟雨に晒し、「生きている」という感覚を得るため刹那の戦いに臨むハウアーフォードの歴史的死闘。物語から深遠な光景を引き出すスコット演出も最高水準。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







大体のことはレビュアーの皆さんが既に書かれているので今更という感じではありますが、個人的な印象と気になる点、ここで指摘されていない(と思われる)点について備忘録的・断片的に記します。

○ レプリカント達の死の多くが、その死を迎える際には裸体に近い姿で描かれている。ロイはもとより、ゾラ、プリスにしてもそうである。レイチェルに射殺されるレオンのみ、その死の際にコートを着ているのだが、不意を打たれて殺害されるという筋であるとはいえ、私としてはこの点が非常に惜しまれる。例えば、肉体を打つ冷たい雨の感覚、恐怖と痛みをすら愛でていた彼らが、生の実感への感覚がもっとも研ぎ澄まされている姿で死を迎えた(迎えようとした)のは大きな説得力を持つように思われるからである。

○ レプリカント達の「復讐」の暴力形態をはじめとしてひときわ目を引くのは、「目」へのこだわりである。セバスチャンの居所を突き止めるために訪れた「目」の製造者を脅迫するシーンでは、製造中の眼球をふるえる技師の体に「デコレーション」する。未遂ではあるが、レオンはデッカードの目を潰そうとするし、ロイはタイレルに対してこの「復讐」を完遂する。ロイがラストシーンで自らの目で目撃した(記憶してきた)光景について言及するが、記憶のための重要ツールとしての「目」、つまり生の実感の大きな一つの寄り所を攻撃しようとするのは、完全に物語に即して説得力のある暴力である。彼ら(つまり我々)にとって、記憶の蓄積が不可能になることこそが「死」であることに他ならない。このタイレルへの復讐シーンを復活させた完全版・最終版を私は推す立場。むしろ初期にカットされた理由が解せない。(監督も不条理な要請に迫られて泣く泣くカットしたのだろう。)このシーンで殺害されるタイレルを、ペットである人造のフクロウがただ見つめている、というシーンも深い。 思えば、冒頭、暗黒のロスに燃え上がっては消える炎を瞬きもせずに、全てを記憶しようと見つめていた目のアップカットは、最も重要なシーンだったのかもしれない(重要でないシーンなんてこの映画にはないと思うけど)。あれは、誰の目だったのだろう。私は「誰か」の目だと特定したくない。誰でもない、全ての人間の目。

○ ロイが、死を目前に硬直する体を「覚醒」させるために、手のひらに突き刺す「釘」。ここに宗教的なモチーフを読みとろうとするのは、やはり陳腐・・・なのかなあ。どうなんでしょうか。

○ プリスがデッカードを奇襲する際にセバスチャンの人形に擬態して潜む、という演出は、単なる緊迫感の演出だけではなく、大きな意味があるように思われる。「人形」についてこだわりを持つ押井守に、この点については意見を聞いてみたいと思うことがある。

○ ガフがデッカードに拳銃を投げて寄越すシーンがたまらない、というのは好き者でしょうか。というか、一般的にガフが好きです。

○ 「レオンの恨み」はどうしたんだ。もう一本指折っとくべきでは・・・

(評価:★5)

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