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DSCHさんのコメント: 投票数順

★3ニーチェの馬(2011/ハンガリー=仏=スイス=独)「食べて」「お願いだから」という女の語りかけに、「なぜ?」と奈落の瞳で返す馬。神も輪廻も永劫回帰も超人思想も、全ての言葉を殺害して世界は闇の中に溶ける。ニヒリズムの極北。 [review][投票(2)]
★4ザ・ウォーカー(2010/米)暴力に代わる「こころ」の守り手もまた暴力の執行者であるという矛盾に自覚的で、「真の信仰はお前の中にある。形式や政治の問題ではない」と再構築するワシントンの佇まいからして、風評から推測される十字軍あんぽんたん映画ではない。褐色・赤・黄の色彩で語られがちな焦土描写に対峙する真っ白に焼かれた「光」の荒廃ルックの一貫性がいい。焦土=死の谷というのも効果的。グラサンというアイテムもグッド。 [review][投票(2)]
★4ドッペルゲンガー(2003/日)役所柄本で驚く必要は全然ないが、ユースケの使い方を見るに付け、黒沢清の「”本当にヤバい奴”描写」の正しさに恐れ入る。劇中でほとんどキャラに笑わせることをしない黒沢演出だが、罪の意識(つまんない言葉!)とか心を統制する全てのタガが外れたような「笑い」を突如放り出すカッティングが最高。ケタケタクルクル笑う永作のコワ可愛さをはじめ、クセになる画が満載。 [review][投票(2)]
★4フレンチ・コネクション(1971/米)フリードキンは「正義」という仮面を被った暴力衝動や焦燥を、街の耳障りな轟音に託して描くのが巧い(特に高架下、地下鉄)。これに不協和音混じりの鼓膜を引き裂くような劇伴、正義が享楽と暴力の言い訳に変質しているドイルの脂汗を映すシャープな撮影が重なる。その歪で下品な「和音」感。ハックマンは下品で適切なお仕事。廃屋は黒沢清もびっくりのクオリティ。 [review][投票(2)]
★5ヒミズ(2011/日)園子温の「堕落論」。破壊される世界の不条理に対峙するに、お仕着せの美辞麗句や自己愛塗れの善意を拒絶し、怒りと自壊から始めようとする姿。否定や肯定の世界ではない。深い闇に沈潜してこそ見える光。新世界。しかし、そこには常に「コントロール」の問題が立ちはだかる。「泥」(怒り)塗れの天の邪鬼な「ボーイミーツガール」。 [review][投票(2)]
★2リトル・ミス・サンシャイン(2006/米)ポンコツの乗り物を押す、もしくは乗り物に飛び乗るといった描写は、まず例外なく感動的で、この画にテーマを託すことが出来なければ、その映画はまず平均点以下だ。本作では修理屋のご丁寧な解説から導かれるそのシーンは、少なくとも平均水準ではある。しかし、基本的な演出は善意の名のもとで弛緩しており、冒頭の群像の切り取りからして退屈過ぎる。スタートラインの価値観が石器時代の産物。 [review][投票(2)]
★5キル・ビル Vol.2(2004/米)復讐者に倒されることを待ち望むかのような倦怠を漂わせつつも、条件反射のように殺しの手練れが顔を覗かせてしまうマドセンの屈折が個人的には好物。その倦怠と渇きが曝されるテキサスの荒野をはじめ、情念とロケ、シーンのケレンの配合が違和感なく完璧で、半端なく高揚する。冒頭のモノクロで悶絶。ラストは勿論、妊娠発覚の下りやギャグが侵食するトレーラーの死闘も最高。 [review][投票(2)]
★4ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!(2007/英=仏)序盤から全体主義のゾンビが跳梁跋扈するあからさまな恐怖映画。ゾンビの巣窟=田舎。ここに「眉間に皺の”天使”」が降り立つ、というのが面白い。裏、もしくは真『松ヶ根乱射事件』(←ネタバレあり) [review][投票(2)]
★4ブラッドシンプル(1985/米)下世話な話をやたらと面白く撮るコーエンの悪意の濃縮原液。日常が異界化するのではなく、彼らにとっては日常こそが異界であり、錯覚した観客を呑み込むのだ。焼却炉やヘッドライト、ネオンの禍々しい美しさ。そして、ひとの弱さと滑稽が転がす痴話喧嘩を、ねっとりしたたる血が嗤う。笑うのではない。嗤うのだ。 [review][投票(2)]
★4オールド・ボーイ(2003/韓国)「―×→」と「健康に良い復讐のススメ」。 [review][投票(2)]
★5モダン・タイムス(1936/米)アクションのテーマ的昇華は随一。「甘んじて自らの身体をオモチャにする」というドMなお家芸神業ギャグと、「オモチャがヒトをオモチャにする」という機械文明のドSな風景がサド=マゾ的に融合し、補完し、高めあう。そして、何がサドでマゾなのか不明瞭になったオモチャの共犯世界に「モダン」が訪れる。それに抗うようにポーレットと咲かす「ヒト」という名の素朴で小さな花。その鼻血級の可憐さ、あたたかさ。 [review][投票(2)]
★2ミュンヘン(2005/米)「殺しという行為は、とやかく言う以前に、つまるところ肉体の損壊なんです」と割り切った上で、「ほら、ここをこうやって壊すとびっくりでしょ」と宣うアルトラ放出の病的なキレと、空中分解する説教のいびつなギャップ。制度化された永遠の殺し合いは、告発の対象ではなく、確かにおいしい題材であるだろう。端的に、延々と殺しまくれるからだ。「怒り」よりも、「趣味嗜好」。血に酔うにはシリアス題材選択の動機が不純過ぎる。 [review][投票(2)]
★3インファナル・アフェア(2002/香港)主役はもう一者存在するはずだ。「香港」という黒い街の空間と歴史である。しかしその「街」が致命的に視えてこない。無間地獄!と大上段で振りかぶるので、ほほうどんな地獄(街)だい、と身構えるが、「地獄」はどちらかというと言葉で語ることに傾注され、肉迫せず空を切る。地獄は画と時間で語れ。トリロジーとしてでなく単体ではどうしてもこの点数に留まる。 [review][投票(2)]
★3黒い家(1999/日)黒沢清並の意識的にとち狂った場所選定と、「正常」のバランスを崩した戯画的なフリークの狂騒によるブラックコメディ感、やたらと汗をぬぐう蓮司や怠く構えて足を引きずって歩く町田への生理的嫌悪感など、堂に入ったいやらしさが光る。しかしハッタリ感が放擲されて白ける演出も多々。うまくバランスを崩すのが肝の作劇であればこそ、ハッタリにも堅牢さが欲しい。大竹の底なし亜空間アイズは面目躍如。 [review][投票(2)]
★4シューテム・アップ(2007/米)人参食って訳も分からずエンジン全開。お前は馬か!というツッコミをモノともしない暴走が苦にならないのは、ネタの展開が超速で温度が的確なだけでなく、全ての冗談を負って立つオーウェンの真顔が完璧にクールでセクシーだから。冗談はこうでなければならない。ラグビーボールよろしく赤ん坊を抱えて暴風のアスレチックを駆け抜けるマジ顔に痺れた。超スポーティ。 [review][投票(2)]
★3インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説(1984/米)「無邪気で元気な偏見」ほど危険なものはないと確信する私にとって、ギョギョギョと目を剥くシーン満載。本気なわけないと思うが、これをシャレとして許せるほど私の肝は据わっていない。ただ一点素ん晴らしいと主張したいのは、フォードの走り姿である。決定的に映画的だ。遅くて、重くて、無様である。しかし、「映画的に極めて正しい速度」と思う。「そこかよ」というか「そこ、どこよ」みたいな話なのかもしれないが。 [review][投票(2)]
★3ブルース・ブラザース(1980/米)心情的には否定したくないが、ゲストに甘えた演出の弛緩が致命的。より危険に面白くなるはずが「コント集」に留まり、高揚に乏しい。コーエンが撮ったとしたらどれだけ面白くなったか、などと余計なことまで考えてしまうが、「神の加護」を後ろ盾(言い訳)にした漫画チックで明るい破壊は見逃せない。本気で逃げ惑うエキストラの画なども嬉しい。でも、やっぱり野暮を承知で、怠い。 [review][投票(2)]
★4ゾンビランド(2009/米)ゾンビに思い入れのない人間が観るな、とお叱りを受けそうだが、そんな私がわざわざ観て興味を引かれるのは、この明るい終末感。明るいのは「別に終わってなんかいない、むしろ既に終わってた」からである。ギャグめいた滅亡を眼前にしながら「遊び続ける」という中盤の病的な画でも喜ばせてくれるが、その自棄はついに「はじまり」への希望を凌駕しない。「今ここ」を理想郷にする。ベタでも嘘でも、縋るしかないのである。 [review][投票(2)]
★2エンター・ザ・ボイド(2009/仏=独=伊)視界を同期する(される)こと=思考をジャックする(される)こと。映画を視る、または視せるという行為の意味に向けた、偏執的で暴力的な追求。軽率な恐怖演出の手垢に塗れてしまった「主観」の可能性を再開拓する「のぞき」の映画だが、視点制約と重力=生=くびきからの解放を共存させる映画表現は「設定の必然」の枠を超えず、更に全編にわたる上では自在なようでありながら息苦しい。 [review][投票(2)]
★3ミスティック・リバー(2003/米)「友人」、「家族」という「理解を前提とされる”はず”」の関係性の一切が破綻しており、「理解」は「誤解」という狭く淀んだ空間で腐り果て、苛立ちの中で都合のよい「共犯関係=正義」に変質する。「一瞬の過ちと不条理」を発端に「無数の一瞬の過ち」を経て生まれた闇の中で、苦しむ者と、苦しむ者と関係ないフリをする人間達(「ともだち」をすら含む)の業が確実に「街」を蝕んでいく。元より「街」とはそういうものなのか。 [review][投票(2)]