コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] クジラの島の少女(2002/ニュージーランド=独)

ケイシャ・キャッスル・ヒューズの学芸会における涙の朗読シーンだけで、この作品の価値は担保されている。大らかだが決して白痴ではない次男の存在感も光っており、ロケーションの美しさ含めて、映画としてのルックスはバツグン。だが…
田邉 晴彦

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







テーマについては消化不足と感じた。キャラクター間(祖父と孫娘)の葛藤が解消される過程で作品から置いて行かれたため、最後の大団円で高揚感を覚えることが出来ない。

本作のテーマは「父子の和解」であり、描かれているのは一貫して「旧来の価値観に挑戦する若者を旧来の価値観に属する大人が最終的に迎え入れるまで」の過程である。この手のテーマでいえば、『リトルダンサー』や『遠い空の向こうに』が個人的に印象に強い。本作は「父子」の役割を「祖父と孫娘」に担わせており、そこにマオリ族の伝統というエッセンスを加えることで、不変的かつ全世界的なテーマをローカライズされたストーリーに託して語っている。このアプローチ自体は非常にユニークだと感じた。

祖父はマオリ族の伝統に従順であり、「族長の長男を後継者とする」ことをほとんど人生の糧として妄信している男である。一方で孫娘はそんな祖父の期待を裏切るように「女」として生まれた自分を悔やんでおり、祖父に何とか認められたいとあがいている少女だ。二人は日常生活の中では一見すると仲のよい祖父と孫娘に見えるのだが、それは家族間に存在する「愛情」でもって関係をはかる場合のみであり、マオリ族の伝統における「承認」という意味合いにおいては、決して交わることのない二人なのである。

三幕構成(設定、葛藤、解決)で考えるならば、第一幕で孫娘が父親とドイツに行くことを拒否し祖父のもとに戻ってくる時点で乗り越えるべき葛藤が設定される。第二幕でその葛藤を様々な方法で乗り越えようとする孫娘と旧来の価値観にしがみつく祖父がカットバックされテンションが高まっていく。「クジラが海辺に打ち上げられる」「孫娘がホエールライダーとなり、クジラを海へと導く」というプロットポイントでクライマックスを迎える。第三幕でマオリ族の伝統儀式を通じて族長として認められた孫娘とその傍らでほほ笑む祖父の姿とともに本作は解決(大団円)を迎える。

問題はクライマックスとなる「クジラが海辺に打ち上げられる」「孫娘がホエールライダーとなり、クジラを海へと導く」の部分。その様子をみて、祖父は孫娘を後継者として受け入れるということなのだが…作品の骨格である「父子の和解」「旧来の価値観に挑む若者」という現実的かつシリアスなテーマに対して、話のオチとしてはいささかファンタジーに過ぎるし、結局のところ、孫娘の葛藤に対する誠実な努力(=挑戦)が祖父に理解(=承認)されているようには思えないのだ。

孫娘は祖父に認められたい一心で、第二幕を通じて、相当の努力をしている。叔父に武術を習い同級生の男の子を打ち負かし、マオリ族の伝統である歌や伝説を覚え披露し、族長の象徴である首飾りを海底から引き揚げてくる。僕ら観客はその姿を通じ彼女にシンパシーを覚え、祖父に捧げる朗読シーンではその健気さにまさしく号泣させられるわけだが、祖父はその光景を一度も目の当たりにはしていない。つまり、祖父が孫娘を認めるに至るのは、(それが彼女の力でもたらせれたものであるにせよ)「クジラにまたがり海へと導く」という超自然的な光景によるものであり、彼女の日常的な努力の姿ではないのだ。

例えば先に出した『遠い空の向こうに』では、主人公のホーマー少年の宇宙にかける情熱が周囲の大人や友人を動かし、その熱がやがてホーマー少年の新しい価値観を否定していた旧来の価値観に囚われている父親にまで伝播する様を実に感動的に描いている。また、『リトルダンサー』では主人公のビリー・エリオットがその努力の結晶であるバレエダンスを父親の前で文字通り「見せつけ」、その迸る熱気が父親を変えていく様を躍動感あふれるストーリーテリングで提示する。いずれの作品も、「父子の和解」をもたらすのは本人たちの日常的な努力による現実的な結果であり、それが否応なく観客に感動を与えるのだ。

同様のテーマをもつ本作でも、祖父が孫娘の努力の過程とその結果を一度でいいから目の当たりにする必要があったと僕は思う。

例えば、あの涙の朗読シーンは祖父は結局みていたというのはどうだろう?彼女がいかに想いを尽くして、努力を重ねているかを知り、心を動かされた祖父は「女が後継者でもいいかもしれない」という思いに傾く。しかし、家に帰ってみると近くの海岸にクジラが打ち上げられているのを発見する。「伝統を破ろうとした報いか…」と苦しむ祖父。より一層、孫娘への愛憎が深まる。しかし、「クジラにまたがり海へと導く孫娘」の姿を目の当たりにする。彼女がホエールライダーとしての資質さえも持ち合わせており、これが本当の意味での「通過儀礼」であったのだと知る。

…とか?まあ、とにかく、もう少し現実的な形で祖父と孫娘の「和解」を演出してほしかったということです。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。