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[コメント] 復讐するは我にあり(1979/日)

本番行為を描くシーンに込められたメタファーに関する考察。
田邉 晴彦

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







先般鑑賞し、その圧倒的な映画体験から早くも今年度(2011年)のベストワンに輝きそうな勢いにある『冷たい熱帯魚』。その監督をつとめた園子温が、自身の作品に参加するキャスト・スタッフに必ず観せている実録犯罪映画史上に圧倒的な濃度で黒光りする怪作『復讐するは我にあり』。天下の今村昌平監督の作品。シネフィルを名乗るからには、いつかは観なければと思っていたが、ついに観賞した。

もうね、すごいね、こりゃ。

エクストリームな題材を扱うと、例えばポン・ジュノやパク・チャヌクを擁する韓国映画なんかにはてんで歯が立たない昨今の日本映画だけど、遥か以前にこんなぶっちぎれた作品があったんだね。ほんと、自分の不勉強を呪いますよ。もっとクラシックを観直さねばと改めて思わされた。

本作は、所謂「露悪的」な映画。人間の負の側面に積極的にフォーカスをあてていき、その何か禍々しいものが表出する瞬間を捉えている。人間は等しく「復讐」されるに値する「悪」を抱えており、それを飼いならすことが人間にとって社会生活の基本要件なのである。

で、とにかくこういった題材を扱うときに大切なのは、そこにフィクションなりの説得力が存在するか否かということ。

観客にしてみれば、映画の中のキャラクターたちの挙動を通して、自分も本来持つであろう脆弱で姑息で卑怯で矮小な部分をこれでもかと見せつけられるわけなので、創り手の姿勢が半端な場合、「こんなんあるわけないやん」と否定的な見解・態度が先にたってしまう。やはり、「実は自分と何ら変わらない」人物たちが繰り広げるおぞましい行いの数々こそが観客の感情を激しく逆なでし、それでも「お前だって同じだ」と説得されてしまうところに、この手の作品の愉悦があるわけで、そのためにも露悪的な映画には本質的なリアリティがやはり必要不可欠なのである。

その点、本作はがっちり固めてある。観客はイマヘイ監督の組んだ露悪のスクラムから 逃れることは決してできないだろう。

例えばキャラクター造形。

緒方拳演じる殺人鬼・巌は、凡庸なシリアルキラーと一線を画している。殺人を犯す前段で凶器となる包丁を選ぶ際の「安い方でいいや」という台詞や、犯罪を犯した直後にタクシーに乗り合わせる客へのある種の営業活動は、彼の合理的な性質を、また一方で、首を絞めて殺害した情婦の失禁跡を念入りに拭き、裾を整える律儀な行動は彼の情緒的な一面を、それぞれ自然に垣間見せる。

冷酷なまでに合理的でありながら、気まぐれに情緒的。こういった殺人鬼に僕らは否が応にも魅力を感じざるを得ないし、そこに魅力を感じる事それ自体が、観客自身が奥底に隠し持つ己の見知らぬ一面を出現させるのだ。

また、一方で禁欲的な父親・三國連太郎。最初こそ本作では人間の「良心」の体現者として出現する彼もまた、破廉恥な息子に対するルサンチマンを募らせた俗物である。息子の嫁に下半身の疼きを覚え、しかしそれを自らに赦すことができない手前、知り合いの宿客に嫁をレイプさせる。彼の自虐的なまでの敬虔さは滑稽であり、その滑稽さが日常生活の中で抑圧されている観客のリビドーを大いに刺激する。もっと俗に言えば、勃起させるのだ。

かように、両雄とも非日常的な所作の中に日常的な感情を隠したキャラクターに仕上がっている。

カメラワークだって相当エグイ。

本作の白眉はその殺害シーンの生々しさにある。少し距離をおいた位置から呆然と見つめさせられる滅多刺し。屋根裏から覗き込むように見せつけられる絞殺の現場。観客にシーン全体を俯瞰させることで、傍観者としての自分の存在を認識させる手法は見事。

そして、考え抜かれた暗喩的な演出プラン。

○露天風呂にて、三國が倍賞の乳を鷲掴み

○宿の居間にて、北村和夫が小川真由美にだらだらと挿入

○小川の部屋にて、緒方が小川に挿入

これら一連の本番プレイの際、基本的に男が女の後ろから行為に及んでいる。

対して、

○情婦をクンニしようとする緒方

○倍賞をレイプする宿客

○ステッキガールと行為に及ぶ緒方

これらはすべて男と女が向かい合って行為に及んでいる。

これって、つまり背徳心のメタファーではないだろうか。後ろめたさを感じながら欲望を吐き出す男たちはみな女を背中から襲うのだ。

三國は息子の嫁である倍賞を手にかけることに、 北村は譲ると約束した権利を小川に譲らないことに、 緒方は阿呆なまでに自分に身を預ける小川を騙すことに、 それぞれ名状しがたい背徳心を抱えている。 だから、女の目をみなくて済むように、後ろからその尊厳を奪おうとするのだ。

以上、これら一連の映画的興奮に魅了されながら、そんな僕もやはり、自分の中に悪を飼いならし、いつかは我(=神)に復讐される(=裁かれる)一人の罪深き人間なのだと、説得されてしまった。嫌な映画である。しかし、それ故に素晴らしい。

最後に。

倍賞美津子さんの重力に屈服する豊乳、小川真由美さんの悶絶する喘ぎ声には、ほんとうに胸が震えた。心から感謝の意を表したい。どうもありがとう。

「勃起しているよ。もちろん」どこからともなくワタナベの声が聞こえたね、うん。

(評価:★5)

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