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[コメント] 時計じかけのオレンジ(1971/英)

監督キューブリックは嫌いだが、キューブリック作品は素晴らしい
ExproZombiCreator

**ネタバレ注意**
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何から何まで目を奪われる芸術的なシーンの数々は確かに凄かったです。アートの部分にかんしては、原作には殆ど存在しないものであり、ほぼ全てが芸術家キューブリックによる功績です。熱狂的なファンでも何でもない私でも、この作品に登場するような部屋に住みたいと感じさせるものがあります。

しかしキューブリックという監督自体は、どうも好きになれません。原作に唾を吐くような態度をとるからです。原作のアレックスは14才という完全に少年の年齢であり、幼女レイプをするなど、映画版よりもずっと極悪人です。そのアレックスにすら、最後にはひとかけらの良心が芽生えるという、逆説的に性善説を描いたものでした(性善説が正しいか否かの問いはどうでも良いのです)。

ところがキューブリックは、その芽生えを描いたラストシーンを「蛇足であり矛盾である」と判断したとのことです。それだけではありません。完成して市場に出回った、小説版時計じかけのオレンジに、「ハッピーエンドのラストを無理やり付け足して再販したもの」と勘違いしたようです――ばかげた話しです。

原作ではアレックスの絶望感や、ゲロ吐き、母親の涙……こういった描写をとても強調しています。僅かながらアレックスへの――思春期に道を誤ってしまった子供への同情心が感じられますし、更生への伏線が感じられます。ところが映画版では、すてきでナイスな芸術的演出にかまけるあまり、それらを強調する事を忘れています。というより、ハラショーなアーティストたるキューブリックは、それをする気が無いのでしょう。

それならば「別物化」するのがせめてもの気遣いだと思うのですが、アレックスの表面的個性や、ラスト以外のストーリーはちゃっかり頂いています。この内容ではディストピア物の亜流に過ぎないし、劣化版でしかありません。

1984年』の主人公を『エルム街の悪夢』のフレディ・クルーガーにしたような映画になっています。社会問題に真摯に取り組もうとする姿勢が感じられません。「クソガキは死ぬまでクソ」といった、mixiの日記によくある、少年犯罪叩きめいたものだけが伝わりました。スティーヴン・キングのいう「空っぽのキャデラック」という言葉の意味がとてもよくわかります。アンソニー・バージェスは1984年をリスペクトしているのか、1985年なる作品を書いています。だからこそ既存のディストピア物をなぞるような事をしないのです。全体主義よりも人間に目を向けたのに、これでは肝心の努力がぶち壊しです。キューブリックは『1984』のリメイクをすれば良かったのです(時計じかけのオレンジも三度目の映像化なので「手垢」はついています)。そうすればバージェスに恨まれるような事も無かったのです。キューブリックの有名作はことごとく原作付きなのに、このリスペクト精神の無さは何なのでしょうか?

アンチ暴力の面。これも『その男、凶暴につき』に完敗しているように見えます。そもそも「暴力を描いて暴力を否定する」の要素は原作の残りカスであり、キューブリックの思想ではないと思います。この作品を観た影響で何件か殺人事件が起きたらしいのですが私は驚きません。暴力シーンを芸術的に、美しく描いている作品なので、暴力を肯定していない事を表明するための「配慮」が必要なはずです。この作品には配慮が足りないと思うのです(無いとは言いませんが)。チ●コオブジェを使った殺人シーンのアニメーションなどは悪趣味極まりないと感じました。それと同時に芸術的なセンスを感じたのも、悔しいですが事実です。

私はこの映画に衝撃を覚えたし、今でも4点という点数を変える気はありません。やはりあのアートは凄いです。オブジェや建築美に頼らずとも、何気ない場所でのカットまで印象的です。偉大であるとともに憎しみを感じる作品というのが、私の評価です。

2010/10/13 2度目の鑑賞

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)太陽と戦慄 けにろん[*]

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