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[コメント] 抵抗〈レジスタンス〉 死刑囚の手記より(1956/仏)

無贅肉の語りと結末に通俗的な(たがやはり聖的な)カタルシスが用意されている点で『スリ』と並ぶ。綺麗な顔立ちをした細面の男前が大好きなブレッソンだから他の囚人と異なってフランソワ・ルテリエには無精髭も生えない(目を凝らせばふぁふぁっとした薄い髭が確認できるカットもないではないのですが)。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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これは、というかブレッソンにあってはこれもと云うべきか、純粋アクション映画である。アクション映画ファンからすれば生唾物の極上品だ。ミリメートル単位で制御されたアクションの連続は「自動性」の観念を呼び起こす。ブレッソンのアクションは自動的であるがゆえに絶対的(それ以外にはありえないような形)であり、また聖的である、と。驚くべきアクションはそれこそ無数にあるが、特に最後の障害となる巡回路の上方空間をロープで渡るシーンについて記しておく。ロープに捕まる際とロープから離れる際のルテリエの回転運動は曲芸師さながらの瞬間性で、何度見ても驚愕する。

画面の強さが最高潮に達したカットとしては、ルテリエが鉄格子の隙間から顔を覗かせるカットと、そしてもちろんラストカット(スモーク演出!)を挙げたい。また冒頭の自動車シーンにおいては、車内からフロントガラス越しに前方の車外風景を撮ったカットにさりげなく(また不必要に)白い「犬」を横切らせるなどして画面に驚きを与えている。ブレッソンとともに同時代にフランス映画界の異端児として活躍したジャック・タチは云うに及ばず、ルイ・リュミエールから『人のセックスを笑うな』の井口奈己に至るまでの、画面造型に意識的な映画演出家の普遍的な振舞いを示唆している。

音響演出についても簡単に触れておく。ここで身体的暴力の演出は音響演出と一体になっている。暴力(銃撃や殴打)が現れるのは必ずフレームの外側においてや遮蔽物の向こう側においてであり、すなわち視覚的には隠され、聴覚的にしか表象されないということ。『シネマトグラフ覚書』に記されている「眼のためにあるものと耳のためにあるものとが重複してはならない」「或る音が或る映像に取って代わることができるときには、映像を抹消するか弱めること」の実践例と云えるだろう。

(評価:★5)

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