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[コメント] アリー/スター誕生(2018/米)

リムジン運転手の詰所と化したレディー・ガガ宅で親父連がJRAを視聴しているなど、徒らな細部の面白さに対する感度が嬉しい(「ジャクソンメイン州」なる馬が出走している。馬名に漢字が用いられているのは調査不足か、虚構性の表明か)。楽曲は取り立てて好むところでもないが、音の鳴りは最高級だ。
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**ネタバレ注意**
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ブラッドリー・クーパーがバーで酔客に絡まれる序盤のシーン、ガガはこの酔客から暴言を吐かれるや、電光石火で拳骨を繰り出す。また、そのような自分に驚いてもいる。感情・生理・反応が理性に先行するこのキャラクタリゼーションはすこぶる「映画」に適っている。続く夜の駐車場のシーンでは「冷凍豆を拳に巻く」という不格好でもって、全篇で最も繊細かつロマンティックな情景が造型される。すなわち、この演出家は明白に映画を掴んでいる。

さて、ともあれ、これは「鼻」の映画である。ハンディカメラを振り回したマシュー・リバティークの無遠慮な接写は、ジャクソン・メイン=ブラッドリー・クーパー=演出家がガガの鼻を肯定する限りで肯定されるだろう。事実、アリーなるスターが誕生したのは、クーパーが彼女の音楽的才能を見出したからでは断じてない。ドラァグバーにおけるパフォーマンスはすでに好評を得ており、音楽業界人の弁として彼女自身曰く「曲はよいが、その見目では売れない」とのことだった。『アリー/スター誕生』にとって最も先立つのは、あくまでもクーパーによるガガの鼻の肯定である。

他方、クーパーにおいて耳鼻咽喉は「難聴」「ドラッグ吸引」「アルコール摂取」に与る呪われた器官として据えられる。したがって、先の一文は少しく一般化を施して「『顔面』の映画である」と云い直したほうがより妥当かもしれない。ここでは、鼻梁や眉を撫ぜることこそが端的に愛である。また、不意にケーキを塗りたくられた顔面は不穏なサスペンスの時間を生成し、ふたりが歩む先にも幸不幸の岐路が在ることを仄めかすだろう。音楽の物語であり、栄枯盛衰譚であり、幸せな、あるいは哀しいラブストーリーであるところの筋を、演出家は努めて顔面的に語っている。

(評価:★4)

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