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[コメント] ダゲレオタイプの女(2016/仏=ベルギー=日)

敢えて文学の連想から第一印象を記せば、上田秋成「雨月物語」の世界で芥川龍之介「地獄変」の人物が横光利一「機械」を演じる、といったところか。芸術を最優先する男の周囲に幽霊が現れるが、それは塩化鉄に侵された頭、もとい水銀中毒が見せる幻やもしれぬ―という即物的解釈の可能性は排除されない。
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カメラや人体固定器具の大仰な装置ぶりに惑わされかけるが、怪談あるいは恋愛譚もしくは犯罪劇として見る限り、どうやら『ダゲレオタイプの女』における「ダゲレオタイプ」は(『回路』における「インターネット」や「赤いテープ」がそうであったように)、黒沢清にとっては幽霊を発生させるためのマクガフィンに過ぎないようだ。

さて、幽霊表現にしてもワンカット階段落下にしても、諸細部の誂えは当然のごとく世界最高水準を示す。しかし、たとえば、オリヴィエ・グルメに迫るヴァレリ・シビラの幽霊については、その動作や衣裳が『』の地点において足踏みを続けているという印象は否めない。すでに映画史上の大傑作を五指に余るほど物にしながら、自己ベストの更新を求められ続ける作家の辛いところだろう。

他方、コンスタンス・ルソーの幽霊は生きているときとまったく同じように振舞い、自分が死者であることの自覚すら定かではない。これにしても『岸辺の旅』のとりわけ小松政夫なのだが、この型にはまだ発展の余地が大きい。「グルメに怨みでも抱いているのかしら?」程度の推測はできるシビラの幽霊に較べて、ルソーの幽霊の行動原理はいっそう不明瞭だ。そもそもどうして彼女は幽霊になったのか、階段を転げ落ちる原因が判然しないため「誰それに怨みを抱いて化けて出る」という怪談噺の道理はここにおいてもはや通じない。このあたりに立ち上る微妙なる機微の演出は黒沢の独擅場だ。また、これに関連するところで、ルソーが階段を転げ落ちるや間髪を入れずに「彼女は死んだのか死んでいないのか」のサスペンスに直行し、濃厚にノワールな自動車シーンをもって「転げ落ちた原因」を不問に付してしまう。これこそはまったく大胆不敵な作劇の超絶技巧だろう。

ただし、ルソーに対するタハール・ラヒムの狂恋や執着が首尾よく演出されていないのは手落ちだ。有体に云って、これでは終盤のふたりの道行きにおいて存分に切なさが生じない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] 水那岐[*]

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