[コメント] パリより愛をこめて(2010/仏)
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とりあえずはジョン・トラヴォルタの起用が勝因であり、それ以上のサプライズを生み出しえていないのが敗因だと云えるだろう。演出の冴えについては『96時間』に三歩譲る。トラヴォルタの二挺マシンガン乱舞であったり、ジョサン・リース・マイヤーズからトラヴォルタへの拳銃受け渡しアクションであったり、螺旋階段の吹き抜けでの連続人体落下であったり、あるいはアクション内にスローモーションを用いても白けさせないあたりを見ても、ピエール・モレルはやはり期待するに足る演出家だと思うが、全般的に云って創意の点でアクション(とりわけ銃撃戦)演出が及第点を大きく超えることはない。前半では花瓶を抱えさせ、後半では肩を負傷させるなどしてマイヤーズの片腕を塞ぎつづけながら、それを有効にアクション演出に取り入れないというのも理解に苦しむ。
トラヴォルタの芝居はやはり面白いが、この無茶なキャラクタにまるで「背景」がないということについては功罪ともにあるだろう。トラヴォルタは行動から躊躇が欠落している。無躊躇に人を殺すことができる。ここで無躊躇とはプロフェッショナリズムの発露のことであるが、彼の行動は職務上のものであるのだから、そこに躊躇が存在しないのは当然と云えば当然である。『96時間』におけるリーアム・ニーソンのプロフェッショナリズム発動の契機が「娘を救い出す」という極私的な事案であるというのは実に作劇の妙であったと思い返す。トラヴォルタの無茶についていけないマイヤーズが最終的には躊躇を超越して恋人を殺害する、という流れにおいての感情もよくコントロールできているとは云いがたい。
そもそも、これはバディ・ムーヴィとして成立しているのか。ほとんどの見せ場をトラヴォルタに持っていかれているマイヤーズは、恋人(だと思っていたらテロリスト)のカシア・スムートニアックと対峙する場面においてようやく見せ場を取り返すが、しかし本気でバディ・ムーヴィをやるつもりならば、マイヤーズの見せ場は「相棒トラヴォルタのピンチを救う」ことでなければならないはずだ。トラヴォルタの超人性を徹底させたことに伴う不可避の副作用であるとは理解するが、これはジャンルの規範の問題である。もちろん規範とは逸脱するために存在するという云い方も成り立つ。しかしここに認められる逸脱が映画の質の向上に繋がっていないというのは明らかだろう。
『96時間』と同様に、小さなキャラクタの成立のさせ方には感心する。米国大使あたりはもっとフックを効かせてもよいかと思うが、トラヴォルタがバズーカをぶっ放す高速道路シーンで彼の運転手を務める男なんかは実に面白い。無表情のままにトラヴォルタの要求をこなしてみせる風情がなんともよい。
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