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[コメント] ウディ・アレンの夢と犯罪(2007/米=英=仏)

こういうのを枯淡と云うのだろうか。ここまで透徹した演出ぶりにはちょっと恐れ入ってしまう。次作『それでも恋するバルセロナ』も含め、渡欧後のアレン作では目下のところこれが一番かもしれない。齢も七〇を越した人の映画はやはり違う(ヴィルモス・ジグモンドにしてもアレンより五つ年長だ)。
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と、私がここで「齢も七〇を越した人」として具体的に思い浮かべたのはクリント・イーストウッドであったりマノエル・ド・オリヴェイラであったりするのだけれども、やはり彼らの近作にもこのウディ・アレンとどこか似通った透徹感がある(まあオリヴェイラが七〇歳以前に撮った作品なんて見たことないんですけども)。というのも考えようによっては当然で、彼らがなお映画を作りつづけるのはまさか「食うため」ではないだろうし、今となっては名誉欲といったものを満たすためだとも思えない。映画に対する彼らの振舞いはもはや芸術家や職人や労働者のそれではなく、かと云って映画に「取り憑かれている」というような偏執的な切迫感とも懸け離れていて、まるで呼吸をするのと同じような自然さと当然さで映画を撮る(三者ともほぼ年一作のペースで新作を発表しつづけています)。随所に野心的な仕掛けを施すのを忘れてはいないにしても、そこには気負いというものがまったく感じられない。『マッチポイント』ではまだ時おり顔を覗かせていた脂ぎった自己顕示欲も、このアレンにほとんど認められない(「枯淡」という語が内包しているように、これを「枯れ」として否定的に見る人もいるかもしれませんが、少なくとも私はとても好い印象を受けています)。

さて、具体的にこの映画について触れるならば、「ありきたりな」事件を中心としたきわめてシンプルなプロットが演技演出の到達度を際立たせている。ユアン・マクレガーコリン・ファレルの兄弟の関係性のニュアンスが新しい。ファレルの深刻かつ滑稽な苦悩ぶりを見れば、また英国が舞台であることを鑑みれば、(原題や台詞がどのように言及していようと)参照先としてはギリシア悲劇よりもシェークスピアを指摘するほうが適切かもしれない(もちろんシェークスピアの底にはギリシア悲劇が流れているはずですが)。フィリップ・グラスの音楽は少々主張が強く、ときに耳にうるさいこともあるが、ジグモンドが捉えた光線の質とともに映画のムードを決定づけている。

(評価:★4)

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