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[コメント] インビクタス 負けざる者たち(2009/米)

イーストウッドほど「暴力」の映画を撮り/演じ続けた人間は存在しない。その彼が示す「暴力」「復讐」の先のヴィジョン。暴力をめぐる彼の映画的思考はおそらく人類史上最高の深度・強度に達している。あけすけに希望を謳ってみせるこの映画の真実味はあくまでも(実話であることではなく)そこに由来する。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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公開初日に勇んで劇場へ駆けつけた私はいささかの拍子抜けの感とともにこれを見終えることになった、ということをまず白状する。複数回見ることで初めてこの映画の凄さを肌で感知できるようになったのだが、それというのも『インビクタス』がまぎれもなくイーストウッド史上最も「普通の」映画だからだ。しかし、今このような普通の映画はほかに撮られていない。いや、史上を見渡してもこれほどまでに普通の映画はいったいいくつあるだろうか。その意味で、これはやはりとてつもなく異様な映画でもある。また、ここで「普通の」とはある程度まで「通俗的な」と云い換えることもできる。もちろん、イーストウッドはいつだって通俗的な娯楽映画の監督として存在していたはずだ。だが『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』や『トゥルー・クライム』といった作品でさえ、ここまで突き抜けて通俗的に振舞うことは決してなかった。たとえば、決勝戦シークェンスにおける怒涛のスローモーションはどうしたことだろう。『ミリオンダラー・ベイビー』どころの騒ぎではない。

有名無名を問わず出演者が皆すばらしい顔と自然な芝居をする。作中人物間の葛藤とその昇華が描かれる。躍動する肉体と、心に響く言葉がある。ときに嘘のような出来事が平然と起こる。しかし、それだけだ。『インビクタス』はそれだけの映画だ。果たして本当にこれがイーストウッドの映画なのだろうかという素朴な直感は、おそらくそう誤っていない。もはやイーストウッドは作者としての特権を振りかざすことなく、作品もまたイーストウッドに帰属しない。だが、それでもやはりこれはイーストウッドとしか云いようがないフィルムだ。むしろ、映画のあらゆるところに彼はいる。遍在している。つまり、きっと、イーストウッドはただ「映画」そのものになろうとしているのだ。その無茶苦茶な企ての手始めとして、固有の被写体としての自身を抹消する『グラン・トリノ』は撮られたのだ。

 と、そんなつもりもなかったのに、つい柄にもなく抽象的な妄想ばかり述べてしまいました(本当のところ私は『グラン・トリノ』がイーストウッド最後の出演作になるとは思っていません)。さて、というわけで箇条書き的になりますが、もう少し具体的によかったところについて記すことにします。人種間の距離の推移を先行的に象徴する集団としてのシークレット・サーヴィス、および彼らの労働のさま。モーガン・フリーマン周辺の女優の充実。冒頭近くのフリーマンによる白人職員引き留め演説で、一気に彼の「ファン」になってしまったことを示す聞き手たちの目。子供らの走りっぷり。交わした言葉以上に深いところで、だが緩やかに築かれたフリーマン-マット・デイモンの指導者同士の連帯。刑務所シーンの超現実感。決勝戦の観衆の盛り上がり。「すわ、『ブラック・サンデー』か」と驚かせる飛行機接近。ラグビー撮影の迫力。決勝点を挙げる儲け役のスコット・イーストウッド。勝利後の歓喜の爆発と幸福感。

(評価:★5)

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