コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 僕らのミライへ逆回転(2008/米)

「産業」としては非合理な点が多すぎる。「趣味」だと云うのならばもっと気楽に臨めばよろしかろう。それにもかかわらずどうしてある種の人々はときに悲壮なまでの決意で「自分の映画」を撮ることを自らに課すのか。ややロマンティックに過ぎてはいるが、この映画はその問いに対するひとつの回答として撮られている。
3819695

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画が感動的であったとして、その要因はしかし正確にはその点にはない。著作権問題によってリメイクを禁じられたモス・デフなりジャック・ブラックなりが撮ろうとしているのは「自分の映画」ではなく、「自分たちの映画」だ。感動はあくまでもその複数性に存している。集団作業の幸福感を画面に提示しようという努力については、物語や映画ファンの心理を利用する仕方のあざとさとは別の次元で語られなければならないだろう。

語りの拙さにはいかんともしがたいものがあり、物語の水準で観客を納得させることは難しい。撮りたいもの・語りたいことが散乱してそれらをうまく繋げられていない。キャラクタ(とりわけブラック)は一貫性を欠く。発電所の破壊を宣言するブラックのさまはまるでテロリストではなかったか。いかにもいいかげんな仕方で物語に招き入れられたメロニー・ディアスがヒロインとして覚醒してゆく過程には楽しいものがあるが、その展開も半端に打ち切られる。しかし画面の端々に捉えられた彼女の助監督としての立ち居振る舞いはチャーミングだ。

 ところで。この映画にやや先んじて『コッポラの胡蝶の夢』を見たという日本の観客は少なくないと思いますが、そこではここでのブラックのようにティム・ロスが電気びりびりの目に遭っていました。映画にとって決してありふれた出来事とは云えない電気びりびりが一年のうちに二度も……。のみならず、両者とも発光しながら宙に浮き、またそれによってもたらされる身体の異変が物語の展開にとって決定的な役割を果たす、という視覚上・機能上の類似も認められます。その符合、というかその符合のまったくの無意味ぶりは私たちにライトな驚きを与えるでしょう。電気びりびり……。流行ってんのか?

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)DSCH[*] ぐるぐる[*] けにろん[*] ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。