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[コメント] この自由な世界で(2007/英=独=伊=スペイン=ポーランド)

確かに「現実」に似た映画ではあるのかもしれない。いろいろと考えさせられる、心を締めつけられる。このような現実のキツさに挑んだ映画を撮り続けるローチの良心こそ、いま世界が必要としているものだとさえ思う。しかしこの映画は具体性を欠いている。抽象的だ。
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**ネタバレ注意**
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「労働」「自由市場(資本主義)」「移民」、そして「親子」の物語であり、それが「女性映画」として統合されている、ととりあえず云ってみることもできるが、この映画で最も重要な位置を占めているのは「カネ」だ。これは徹底して「カネ」の物語として語られている。具体性を欠くと私が云っているのもそれについてで、すなわち、「カネ」の物語であるにもかかわらず、この映画には具体的な「金額」への言及が少なすぎるのだ。

いささか乱暴な云い方をすれば、キルストン・ウェアリングは「自分と息子さえよければ他はどうでもよい」という「自由」を行使する女性である。彼女は自身が斡旋する移民労働者に対して相当にえげつないことをし、それによって利益を上げているはずなのだが、具体的な金額の言及を欠いているので、そのえげつなさもいきおい抽象的なものにならざるをえない。新しいオフィスの候補物件を見学した際、ウェアリングのパートナーのジュリエット・エリスは「家賃は高そうだけど」といった意味の台詞を云う。しかし「高そう」では駄目なのだ。具体的にいくらの家賃のオフィスに移ろうとしているのか、それが示されていなければ彼女らのビジネスの成長―労働者を喰い物にすることによる!―もまた具体性を欠いたままにしか観客に示されない。これは一から十まで金額の台詞で埋め尽くすべき映画だったはずだ。労働者に約束された賃金は? そして実際に彼らが受け取る額は? 収めるべきなのに誤魔化していた税金の総額は? あるいはウェアリングと息子が頼んだピザの値段は?(もちろん金額への言及がまったくないわけではありません。「一万二千ポンド(でしたっけ?)の借金がある」とか「家を借りてそこに昼夜シフトの労働者を住まわせれば、月に三千ポンドの利益が上がる」とか。だから私はこれらこそ具体性を伴った、テーマによく貢献するシーンだと思います)

むろん、しかるべきエピソードとしかるべき演出を持たないままにもっぱら金額の台詞によってのみ私の云うところの「えげつなさ」を描き出そうとするのは、方法論としては安直なものだろう。しかし問題はそれすらも行われていないということなのだ。はっきり云うが、これほどの「カネ」の物語でありながらこの程度にしか金額への言及がなされていないというのは不自然である。それはローチおよびポール・ラヴァティが、金額(数字)の具体性によって映画の普遍性の獲得が妨げられてしまうと懸念したからではないだろうか。映画が通貨(国)や物価(時代)の異なりに制限を受けない普遍性を得るには、金額は常に抽象的であるほうがよいと。

だが、それは誤りだ。映画において抽象性が普遍性に到達することはない。愚直に積み重ねられた具体的なるものが次第に普遍性をかたちづくるのだ。台詞を削りまくることで知られた成瀬巳喜男が、どうしてしばしば金額についての台詞という剰余的と思われるそれを映画に刻み込んだのか。それは映画作家の具体性に対する志向として理解されるべきものでもあるはずだ。

 余談になるが、レズワフ・ジュリックによるカオス・ゴルフだかエクストリーム・ゴルフだかの話は面白い。実際にそれをやっているシーンがあったらもっと面白かっただろう。

(評価:★3)

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