コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] アキレスと亀(2008/日)

樋口可南子の佇まいのすばらしさ。ビートたけしと彼女の共犯的創作行為の面白さ。横溢するタナトスの不気味さ。ビートはとりわけ樋口に話しかける場面においていつになく自然体の演技を見せるが、その被写体としての異様は隠しようもない。被写体ビートが作品に「北野映画」性を刻印する。
3819695

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







劇中溢れんばかりに登場する数々の美術作品。ここで北野武が近現代美術史の網羅ないし概観を試みていることは美術に明るくない私にも分かるが、何より重要なのは映画をこれほど自作の絵画で埋め尽くした作家は他にいないということだろう。その一点のみをもっても北野を映画史上唯一の存在と呼ぶに足るのだが、ここでの絵画の使われ方には北野の自己愛・自信・自己顕示欲・自嘲・自虐がないまぜになっており、観客を宙吊りに追い込む。娘の死さえも創作活動の糧にしてしまう「地獄変」男が、その作風に関しては画商大森南朋の云いなりになっている、などのシニカルなバランス感覚もそうだ。すべての瞬間においてあざといほどに両義性が確保されている(そもそもの発端からして「真知寿は画家になる夢を持った。又、持たされた」)。

センチメンタル過剰な音楽でシーンを飾り立てる姿勢は私の好むところではないが、とは云えやはりあのラストショットには心を打たれないではいられない。『モダン・タイムス』であり、『ランボー 最後の戦場』である(缶蹴りの奇跡ぶりは『クローズ・アップ』!)。

 ところで主人公が柳憂怜に移行して最初のシーン(だったと思います)、短篇『素晴らしき休日』中の全景ショット(映画館「ヒカリ座」と田園)そのままの絵画が写るのが確認できましたが、その類の(過去の北野映画のショットから引用した)絵画は他にもあったのでしょうか。絵画群の情報量が物語の推進に貢献しない次元で非常に豊かで、目が追いつかない映画でもありました。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (6 人)NOM ペペロンチーノ[*] いくけん[*] サイモン64[*] おーい粗茶[*] ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。