[コメント] 早春(1956/日)
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『その夜の妻』や『東京の合唱』、『風の中の牝雞』など小津の映画ではしばしば子供が病気にかかり、それが物語の展開に貢献する。これらの作品では結局事なきをえるのだが、もし子供の命が失われていたらどうなっていたのだろうか。その問いに対する答えとしてこの『早春』を見ることも可能だろう。
池部良・淡島千景夫妻においては物語の始まりの時点ですでに子供は失われたものとしてある。 『東京暮色』の最大の絶望は、物語に即して云えば、じゅうぶん大きいとはいえやはり笠智衆の子供であるには違いない有馬稲子が失われることにあり、ほんの僅かでも希望が残されていたとすれば、それは原節子が赤ん坊のためにもう一度夫婦生活をやり直してみようと決意するからであろう。
このような子供をめぐる小津的状況にあって、失われた子供を持つ池部はなし崩し的に情事に耽るようになるわけだが、一応物語は夫婦の回復を示して締め括られる。 厳しさという点ではやや物足りなくもあるこの結末は、直接的には「都落ち」を、間接的には池部の同僚増田順二の死を契機としており、それなりに妥当なものだとも云えるだろう。
前後の超傑作群に比べれば見劣りしないではないとはいえ、やはり画面やカッティングはほぼ完璧。通勤する人々をビルから見下ろすショットのミニチュア感は『プレイタイム』を想起させるし、ハイキングをはじめ印象的な場面も多い。また、アパートの狭い一室に七人の男が集うシーンではそれぞれの顔が重ならない構図が採用されていたりして、ここにも小津の徹底性の一端が見て取れる。
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