[コメント] 大人の見る絵本 生れてはみたけれど(1932/日)
本人たちにとっては大問題でも客観的に見れば日常生活の些事に過ぎない事柄を描きながら、「人生の真理」とまで呼んでしまいたくなる何ものかを観客に感取させてしまう作劇術は、すでにここにおいて完成している。ああ、それにしても列車を登場させないと気が済まない小津!
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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斎藤達雄一家の新居が線路近くにあることに、劇的な必然性はほとんどない。しかしながら斎藤の家から列車が見えること、列車が通勤通学路や子供たちの遊び場と並行するように走り、またそれらを横切ることが、どれほどこの映画の視覚的イメージの充実ぶりに寄与していることだろう。
この映画の物語が提出している問題はいまだに解決されてはいない。というよりも、それは斎藤が「この問題はこれからの子供には死ぬまで一生ついてまわるんだ」と云うように、私たちが現代的な社会のシステムの上で生活を営む限りは永遠に解決されないものなのだろう。だが、この物語が迎える結末はやはり感動的だ。それは、苦みを伴いながらもそれなりに幸福なものでもあるその結末が小津の中に冷徹さとともに同居する優しさによって導き出されているからなのだが、それ以上に「親子の和解」が庭・空・はためく洗濯物・横並びに座る親子・おむすび・列車といった重層的なイメージの上に結実しているからだ。
子の立場に立っても親の立場に立っても、私はこの映画を涙なしに見ることはできない。
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