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3819695さんのコメント: 点数順

★3ドラゴン危機一発(1971/香港)ちぐはぐなカッティングが興奮の最大値を低める。しかしちゃんと笑える映画で偉い。映画にとって「笑える」ことは常に美徳である。また、香港映画を知らぬ私はここに七〇年代アメリカ映画と同質の空気が流れていることに驚いたものだ。若干の意味のズレを恐れずに云い換えれば、それは「テレ東の午後」の空気である。[投票]
★3ジョージアの日記 ゆーうつでキラキラな毎日(2008/米)世界で最も阿呆な生物は思春期の男子であると相場が決まっているが、女子だって負けず劣らず阿呆である、というお話。いくら作者の作為が見え透いたものであってもこの少女らを嫌いになることは難しいだろう。こういう演出家と脚本家の素敵なアイデアがいっぱいに詰まった映画は好きだ。 [review][投票]
★3鰯雲(1958/日)農業残酷物語。でもないか。この人間関係を把握しきる脳髄メモリを私は持たないのだが、鮮やかな人物の出し入れのためによく分からぬままながらあれよあれよと見せられてしまう。中村鴈治郎杉村春子が顔を合わせるとなぜか妙に穏やかなシーンになるのは『浮草』と同様。斎藤一郎はここでもやりすぎ疑惑。[投票]
★3暴行(1963/米)羅生門』同様に撮影は突出したすばらしさだ。現在時制の冒頭シーン(ここでは駅舎、『羅生門』では羅生門)の空の色のニュアンスの豊かさは原典より優っているとさえ思う。さすがに駅舎の造型は羅生門に敵わないが、アメリカ的であると同時にスコープ的な建築物の選択でまずくない。 [review][投票]
★3サニー・サイド(1919/米)橋上の天女の舞踊りをほんのわずか仰角気味に撮ったカットであるとか、屋外シーン撮影の安定した美しさはチャップリン作品でも上位に入るが、なぜかしらどこかしらヨーロピアン・タッチが漂っているのが面白い。動物も多く出てきてよい。が、その扱いぶりはキートンの驚異的なそれを思うと物足りなさを覚える。[投票]
★3皇帝円舞曲(1948/米)これだけ「犬」をフィーチュアしておきながらいっさい「予測不能」を演出してみせない点でもう信用できない。物語の予定調和は結構だが、ひとつびとつのシーンやショットまでもが予定調和に陥っては映画は枯れてゆくばかりだ。ただし宿屋ミュージカル・シーンの空間把握は抜きん出てよい。[投票]
★3フレンチ・コネクション(1971/米)チェイス演出の頑張りは素直に認めよう。逃走-追跡が映画を転がす。だがフリードキンが必ずしも標準的な刑事物を志向していないことは異様な血液描写からも明らかだ。サンタ姿でリンチ・屋上からの狙撃・自動車徹底分解など見せ方は巧くないが面白い。ラストの廃墟シーンに至っては『エクソシスト』よりも立派にホラー映画している。 [review][投票]
★3ウィンダミア夫人の扇(1925/米)非の打ち所がないのが唯一の非か。一点の濁りも澱みもなく完璧に流れる。とは云え、思わず目を惹くカットも。二人の歩行者の間隔が詰まっていくところでワイプ的に画面をマスクするカットや、メイ・マカヴォイが取り落とした扇の、その落下のさまをカット割りで見せるところなど。 [review][投票]
★3オールウェイズ(1989/米)これは比較的しょうもないほうのスピルバーグ。このダンスシーン演出の平板さには目を覆いたくなる(ホリー・ハンターがひとりで踊る場面はちょっとだけよいが)。しかし嫌いになることも難しい映画だ。なにせハンターがすばらしい! ハンターがジョン・ウェインの物真似をする! これはやっぱり「アメリカ映画」だ。[投票]
★3ジュノーと孔雀(1929/英)極めて舞台演劇的。トーキーは(その初期においては)映画に退化をもたらしたということを実感できる。画面外の音声が芝居に反映される箇所などもあるが。ほぼフルサイズのショットにおいて頭部がフレームアウトしたりとフレーミングまでがおかしい。ラストの聖母像に対するそれは象徴的な意味を担っているにしても。[投票]
★3レッドクリフ PartI(2008/中国=香港=日=韓国=台湾)昔懐かしの大作主義的人海戦術史劇スペクタクル。と思いきや案の定ここにもコンピュータ・グラフィクスの魔の手が……。それがために無茶・無謀に対する興奮は頭打ち。「八卦の陣」の阿呆らしさなんかはとても映画向きでよいが。ま、これほどの大型企画を率いて潰されないというだけでもジョン・ウーは凄い。[投票]
★312人の怒れる男(2007/露)底が浅い。「現代のロシア」を描く腹積もりだろうが、身の上話合戦とチェチェン絡みのインサート・ショットのみでそれを行なおうというのは方法論としてどうか。「体育館」を舞台にしたのはよい。陪審員が体育館に移動する際に子供らにもみくちゃにされるところとか。欲を云えば体育館ならではの演出がもうふたつほしい。[投票]
★3罪の天使たち(1943/仏)既にしてブレッソンの映画は格好よかった。フィルム・ノワールの匂いを濃厚に漂わせるいくつかのシーン。ラストカット。一見何気ないカメラワークからもアクション映画への造詣の深さが窺える。「白」もよいが、「女だらけのノワール」を徹底してくれていたら私はもっと狂喜しただろう。的外れの望みだが。[投票]
★3俺は待ってるぜ(1957/日)このアクション演出は悪くない。ラストの対決は明→暗→明と明度の異なる空間に移動しつつの殴り合い。ドラムセットにも突っ込みます。石原裕次郎がボクサーを辞めるきっかけになった撲殺のシーン(フラッシュバック)も調子よい。俯瞰気味の空間把握が石原の身ごなしを際立たせている。[投票]
★3オペラ座の怪人(2004/米=英)技術がある努力もある。で、これ。つまり趣味がよろしくないのだろう。いい歳して押しの一手のシュマッカー。炎やシャンデリアなど画面内光源を印象的に設え、装置・小道具の光沢でダークな画面を彩る。が、慎ましさの欠如がそれを「美しさ」から引き離し、歌唱シーンの数珠繋ぎも却って映画の情動を押し殺す。[投票]
★3ふしだらな女(1926/英)嫁ぎ先の家の「階段」の特異な設置の仕方に視覚的細部・説話的装置としての階段に対するヒッチコックの意識の高さが認められるが、振り子運動する片眼鏡から振り子時計へのカット繋ぎなどは技巧のための技巧に留まり、結句習作の域を出ない。せめて「カメラ恐怖症」を中心的モティーフとして映画が組み立てられていたら。[投票]
★3夏の夜は三たび微笑む(1955/スウェーデン)人間関係は複雑だがやや図式的で深みに乏しい。が、それゆえの喜劇性。緑がかった画面の色調はそれだけで目を引きつけもするが、これで湖まで撮ってしまうというのはいかがなものだろうか。この湖面は途方もなく美しくなければならないはずだと思うが、この色調ではまるでアオコ状態ではないか。[投票]
★3旅するジーンズと16歳の夏(2005/米)頭からこうも衒いなく全的な友情を描かれると却って参ってしまう。物語が問題としているのはもっぱら各人の恋愛やら家族関係やらで、友情の確認であるとか深まりであるとかではない。彼女たちあるいはこの映画にとって友情とは揺るぎない前提であり、そのように規定してしまう潔さがよい。 [review][投票]
★3ファイヤークリークの決斗(1968/米)活劇的魅力に乏しいことは否めず、“SHERAF”のバッヂはもっと感動的に機能させられたはずだとか細かい文句は多いが、ぐつぐつと内圧を高め終盤に爆発させる展開は成功している。キャラクタの厚みについても、ジェームズ・スチュアートヘンリー・フォンダを揃えればそれだけで生み出せる類の単純なものではない。 [review][投票]
★3闇の子供たち(2008/日)さすがに「銃撃戦や宮崎あおいの疾走のアクション性が云々」などと語る気が俄かには起きぬほどヘヴィなお話だが、それを支えるのは簡潔にして雄弁な画面展開だ。虚構性の按配は作家としての倫理か。幼児買春という一種の表象不可能性に挑みつつそこそこに折り合いをつけ、たかだかPG-12の制限に収めてしまう職人的したたかさも。[投票]