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★4フランケンシュタイン(1931/米)一瞬たりとも気を抜いていない。ふざけていない。丹精を込めて拵えられたクラシックに美しい画面だ。美術のよさは実験室や風車小屋に限らず、墓場や岩場などの屋外も。とりわけ空の禍々しさはただごとではない。ボリス・カーロフの登場と湖のシーンはトーキー初期らしい無音の、凄まじい緊張感。 [review][投票(2)]
★3罪の天使たち(1943/仏)既にしてブレッソンの映画は格好よかった。フィルム・ノワールの匂いを濃厚に漂わせるいくつかのシーン。ラストカット。一見何気ないカメラワークからもアクション映画への造詣の深さが窺える。「白」もよいが、「女だらけのノワール」を徹底してくれていたら私はもっと狂喜しただろう。的外れの望みだが。[投票]
★4河内カルメン(1966/日)野川由美子! 完璧な美貌ながらそこに人を寄せつけぬ冷たさはなく、能動的かつ受動的な男性遍歴を経ても芯の人格的潔癖を失わず生来の明朗を保つ。演出家が溝口的/今村的な「女性性礼賛に裏付けられたサディズム」を欠くがゆえの魅力的な造型。あるいはそれがカルメン性か。たとえば『故郷に帰る』の高峰秀子も。 [review][投票(7)]
★3ハチミツとクローバー(2006/日)対立を欠いた鎖状のキャラクタ配置が直に物語の輪郭となる(尾行者を尾行する関めぐみがそれを行動的に象徴するでしょう)。ところでこれは世界中のコマーシャルな映画の多くに共通して云えることだが、このような音楽のつけ方をして恥ずかしさを覚えないのだろうか。監督はミキシング室でどんな顔をしているのか。[投票(1)]
★4激突!(1971/米)恐怖の対象を「トラックそのもの」という無生物に設定し、その〈奥〉にいるはずの「運転手」は徹底的に正体不明の抽象として処理することで、類型としての物語は都市伝説の様相を帯びる。不思議だけど日常的のような。現実的だけどすべてを主人公の妄想に帰しても差し支えないような。 [review][投票(6)]
★3俺は待ってるぜ(1957/日)このアクション演出は悪くない。ラストの対決は明→暗→明と明度の異なる空間に移動しつつの殴り合い。ドラムセットにも突っ込みます。石原裕次郎がボクサーを辞めるきっかけになった撲殺のシーン(フラッシュバック)も調子よい。俯瞰気味の空間把握が石原の身ごなしを際立たせている。[投票]
★3しあわせのかおり 幸福的馨香(2008/日)劇場からの帰り道は藤竜也で頭がいっぱいになる藤竜也映画。紹興で真正の中国人に囲まれて完全に溶け込みつつ、非母語話者的アクセントの日本語を操ってエキセントリックに堕しないというのは実際凄い。「まじない」シーンの藤―「これで幸せになれます」という言葉のいいかげんさ&本気顔―には涙腺をやられる。 [review][投票(2)]
★4キートンのハイ・サイン(1921/米)ヒッチコックもこれを見ていたのかしら。などと想像を逞しくせずにはいられない『見知らぬ乗客』な超高速回転木馬ショットが冒頭からあって、映画(画面)のヴォルティッジはいきなりマックス。終盤の断面家屋にしてもそうだが、キートンはまるで遊園地とのように「空間」と戯れる。[投票]
★4西鶴一代女(1952/日)溝口の成功作はすべて「もはや笑うしかない」地平に達しているのだが、それはユーモアではなくもっぱら彼のサディズムに拠る(溝口にユーモアはない!)。そこが本質的に喜劇作家である小津や(実は)鋭いギャグの感覚を持った成瀬とは違う、溝口の凄さである。淫売! 売女! 化け猫! [review][投票(4)]
★3ミッドウェイ(1976/米)当時「フィルムの使い回し」がどの程度頻繁に行われていたのか知らないが、いずれにせよそれはプログラム・ピクチュアの論理であって大作のそれではない気がする。スター競演の割に貧乏臭い。シーンごとの光量もまばらでルックの統一に無関心なのは明らか。致命的なのはキャラクタ配置の難による求心力欠如。[投票(1)]
★4落下の王国(2006/インド=米=英)傑作。無茶なロケーション好きには堪らない映画だ。また、高速度撮影嫌いの私でもこの黒白のタイトルバックには参ってしまう。それは「橋」「河」「馬」「列車」「蒸気」「煙」といった数々の映画的アイテムのダイナミズムが見事に捉えられ、増幅されているからだ。才能でも努力でもなく、偏執が生んだ映画。 [review][投票(7)]
★3オペラ座の怪人(2004/米=英)技術がある努力もある。で、これ。つまり趣味がよろしくないのだろう。いい歳して押しの一手のシュマッカー。炎やシャンデリアなど画面内光源を印象的に設え、装置・小道具の光沢でダークな画面を彩る。が、慎ましさの欠如がそれを「美しさ」から引き離し、歌唱シーンの数珠繋ぎも却って映画の情動を押し殺す。[投票]
★4K−19(2002/米=英=独)潜航/浮上時に生じる傾斜を滑る皿で表現するなど演出は地味だが的確に行き届き、氷原でのサッカー&記念撮影や米軍機への尻出しなど艦外に印象的な場面を拵えているのも偉い。無理に引き伸ばされたと思しき上映時間はしかし「訓練」や「事故」に見られる敢えての反復性によって引き締められている、のか? [review][投票]
★4汚れた血(1986/仏)単純な犯罪映画のプロットに青春メロドラマを掛け合わせて「詩的な」言葉で彩る、程度の戦略をヌーヴェルヴァーグ以降の作家が持っているのは当然だが、ここには腹話術やバイクに跨るジュリー・デルピーなどとても素敵なアイデアが詰め込まれている。ジュリエット・ビノシュは一向に喋ろうとしない登場後数シーンが特によい。[投票(1)]
★4ランジェ公爵夫人(2007/仏=伊)なんと贅沢な画面。それは演出家・撮影者の力量のみによるのではなく、美術や衣裳の出来なども含めて。まだまだフランス映画には体力があるようだ。余韻を拒むかのようにショット/シーンを若干早目に切り上げる編集のリズムが内的な躍動感を生み心地よく、インタータイトルの挿入も説明的というより批評的に働いている。 [review][投票(3)]
★3ふしだらな女(1926/英)嫁ぎ先の家の「階段」の特異な設置の仕方に視覚的細部・説話的装置としての階段に対するヒッチコックの意識の高さが認められるが、振り子運動する片眼鏡から振り子時計へのカット繋ぎなどは技巧のための技巧に留まり、結句習作の域を出ない。せめて「カメラ恐怖症」を中心的モティーフとして映画が組み立てられていたら。[投票]
★3U−571(2000/米)音楽で場面を飾る仕方が浅ましいが、満身創痍の艦内で明らかに目つきのヤバいマシュー・マコノヒーが悟りを開いたかの如くやたらなひそひそ声で指示を出し始める辺りが面白い。馬鹿馬鹿しく全開した「暗さ」と「静けさ」への志向がよいのだ。潜水艦映画にかかわらず「閉塞感」演出で勝負をかけないのは狡いとも賢明とも。[投票(1)]
★2R246 STORY(2008/日)六人の素人監督たち(浅野忠信にはすでに監督作がありますが)。ユースケ・サンタマリアと浅野を除いてはろくに映画を見たこともなく、知識的にも感覚的にも「映画」を「知らない」のだろう。才能はむろんのこと、工夫・努力・勉強の跡も窺えない。 [review][投票]
★5最後の人(1924/独)云うまでもなく「回転」と「ドアー」はきわめて映画的な運動と細部であり、したがって巻頭第二カットをはじめとして独創的な撮り方で「回転ドアー」をフィーチュアしたこの映画はそれだけですばらしいのだが、それにとどまらず全カットが評言を加えてみたくなる、しかしそんなものはいっさい必要としない強い画面である。 [review][投票(3)]
★3夏の夜は三たび微笑む(1955/スウェーデン)人間関係は複雑だがやや図式的で深みに乏しい。が、それゆえの喜劇性。緑がかった画面の色調はそれだけで目を引きつけもするが、これで湖まで撮ってしまうというのはいかがなものだろうか。この湖面は途方もなく美しくなければならないはずだと思うが、この色調ではまるでアオコ状態ではないか。[投票]