コメンテータ
ランキング
HELP

3819695さんのコメント: 更新順

★4キートンの西部成金(1925/米)優れた喜劇はすべて、と云ってはさすがに誇大だろうけれども、少なくともバスター・キートンの演出作の多くは「自動的」である。あるいは「メカニカル」「システマチカル」とでも云うか。ことはさしたる現実的・合理的な必然性もなく始まり、それが行き着くところまで行くのを人は止めることができない。 [review][投票(1)]
★3シンプル・シモン(2010/スウェーデン)おそらくは作者の心優しさのために、物語の暴走に歯止めが掛けられている。私の希望を云えば、騒動の規模をもっと大きくしたい。たとえば、ビル・スカルスガルド以上に奇天烈なキャラクタを彼の周囲に配置する、彼を犯罪(計画)に巻き込ませる、すなわち騒動の震源をスカルスガルドの他に置くなどして。 [review][投票]
★3沈黙 -サイレンス-(2016/米)どうも演出家が長崎と魔界を取り違えているらしいのは、云うまでもなく乙なものである。同様に、日本人の演出家であれば呪縛的に逃れられなかったであろう時代劇的演技のコードから自由であるところに徳高さが好もしく滲み出る。平生の現代劇芝居と寸分違わぬ菅田俊浅野忠信に金銀のメダルを捧げたい。[投票(4)]
★4手紙は憶えている(2015/カナダ=独)記憶の断絶がもたらす個体の同一性保証の危機は、ナチ狩りミステリの文脈に置かれることで臨床的関心以上に実存SFの趣きを帯びる。ジョニー・トー作のように「記憶喪失者の復讐」がアクション演出として消化されないのは抗議デモの対象だが、老人物語における児童・幼児の活用など、作劇は概ね手堅い。[投票]
★3アズミ・ハルコは行方不明(2016/日)ある種の復讐譚でもある映画がいたずらに観念的であるのは由々しき僻事だ。各女性キャラクタと現代日本女性の境遇を重ねることに演出・脚本の資源が割かれすぎて、その枠からはみ出して起ち上がるべき人格的魅力が備わっていない。蒼井優は物語の上で逐電を果たしても、作者の操り糸からは逃れられない。[投票(1)]
★4友だちのパパが好き(2015/日)白い肌の異常な夜』『黒い十人の女』における男が(弱さにもかかわらず/ゆえに)人間関係の中心に布置されるのに対し、ここでの一男多女はアメーバ的に形状を定めない。さらに、執拗な芝居の彫琢と観察的撮影によって作中人物は感情移入の対象となること叶わず、場には冷ややかな不穏が渦巻き続ける。[投票]
★3The NET 網に囚われた男(2016/韓国)映画が物語に従属している。リュ・スンボムをソウル市街に放ちながらコメディやアクションを(要素としてはあるにせよ)探求することなく、たかだか人情噺を語るに留まってしまうのでは持ち札が貧しすぎる。「網」と「国旗」に同質性を見出す小道具演出がささやかな感心を呼べたとしても欠伸は止まない。[投票(1)]
★4ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(2016/英=米)ブロックバスター級大作二本を同年に公開するデヴィッド・イェーツの勤労ぶりはもっと労われるべきだし、もっとkaroshiが案じられてよい。「所詮コンピュータ描画じゃん。あひなし」という根本的不服を封じた上で動物映画として見たとき、私は『ターザン:REBORN』よりもこちらに軍配を上げたい。 [review][投票(2)]
★4ダーティ・グランパ(2016/米)一応親身を装った風情のつもりなのか、ロバート・デ・ニーロザック・エフロンに何やら助言をするが、それは目に入ったTシャツやステッカーの文言を口にしていただけ。といった吃驚に価する高精度のギャグがいくつか紛れ込んでいる。「フロリダではどこでも発砲してよい」などのお役立ち知識も満載だ。[投票(1)]
★4FAKE(2016/日)成程、確かにこの映画は俎上の諸サブジェクトの真偽判定を保留の状態に至らしめる。ここでは真偽をめぐる問い自体が無効だと云ってもよい。真偽の境はグラデーションである、などと森達也好みの云い方もあるだろう。それでもなおこの映画はある一事を避けがたく明証する。それすなわち森の演出力である。 [review][投票(4)]
★4湯を沸かすほどの熱い愛(2016/日)「血縁の有無」を絡めた「家族の増減員」という手垢に塗れた感動噺の素材に、手垢に塗れた感動噺ならば忌避してしかるべき細部(たとえば「思春期女性の下着事情」や「尿」)を敢えて仕掛けることで物語の馬力増強を図る。というのが『琥珀色のキラキラ』『チチを撮りに』から一貫する中野量太の方法だ。 [review][投票(5)]
★3荒野の七人(1960/米)黒白であれば気にならないところだが、流れ者の七人が常に理髪店で顔を当たったばかりのように小奇麗な面を保っているのは興を削ぐ。衰退期以降の西部劇が全盛期のそれ(もっとも、これも一九六〇年の作だが)より明白に優る点は数少ないが、無精髭などで俳優の顔を汚すことが許されたのはそのひとつだ。 [review][投票(3)]
★4ストックホルムでワルツを(2013/スウェーデン)必ずしも観客の好感を期待しないエッダ・マグナソンの人物造型が、公私ともに成功・挫折の起伏に富んで作為じみた伝記を「物語」らしい物語として太々しく正当化する。「電話」と「ラジオ」の映画として、すなわち、それらをして遠く隔たった人々の感情を画面の連なりに落とし込む演出にかけて感動的だ。[投票]
★3人生スイッチ(2014/アルゼンチン=スペイン)この種の結末を恣意的な思考実験から救い出すには、作中人物の心的負荷が適量かつ適時に呈示される必要がある。特出した演出力を望めない場合、それは脚本の書き込みによって果たされるべきだろう。その自覚は六篇の上映尺が均等でないことからも見て取れるが、肝心の成果物は納得からも驚倒からも遠い。[投票(1)]
★3わたしのハワイの歩きかた(2014/日)乱闘シーンが弾け切らない(店ごと盛大に壊してほしい)など爆発力の不足は不満だが、前作「特急」を念頭に「歩き」の本作に注文をつけるのは筋違いか。とは云え台詞に愉しみを見出せる喜劇はそれだけで貴重で、榮倉奈々はむろん高梨臨の堂々たるコメディエンヌぶりも瞠目に価する。さらなる出世は堅い。[投票]
★3美女と野獣(2014/仏=独)馬鹿と云った人が馬鹿。と教育されてきたので「馬鹿っ!」と罵ることこそ控えるが、この映画のスタッフは軒並みあんぽんたん、そうでなければすっとこどっこいとしか思えない。クリストフ・ボーカルヌにも失望した。仮に計量が可能ならば、その失望の大きさはビッグエッグおよそ三個分に相当するだろう。 [review][投票(1)]
★3ニンフォマニアック Vol.2(2013/デンマーク=独=仏=ベルギー=英)云うまでなくラース・フォン・トリアーの『好色一代女』だが、「同じく『好色一代』でも、男と女ではこうも異ならざるを得ないのか」という作中の(ともすれば陳腐な)ジェンダー論的指摘も鑑みれば「トリアーの『西鶴一代女』」としたほうが適当かもしれない。が、語り口の味わいはほとんど落語である。[投票]
★3ニンフォマニアック Vol.1(2013/デンマーク=独=仏=ベルギー=英)持ち前の謎知識で隙あらばシャルロット・ゲンズブールの小噺を混ぜっ返す物知りおじさんステラン・スカルスガルドには『吾輩は猫である』の迷亭的な素質があり、ケーシー高峰師匠を参考にもっとふざけてくれていればさらに嬉しい。画像に文字を重ねるポスプロギャグもゴダール的とは云わずとも捨て難い。[投票(2)]
★3捨てがたき人々(2012/日)大森南朋の帰島以来、平穏だったはずの五島では、彼と直接/間接に関係した者たちが次々と非業の死を遂げる。「生きるのに飽きた」にもかかわらず生き続ける大森と釣り合いを計るかのように。「それでも生きてしまう」男と、彼の途上に横たわる屍たち。その対照を結果しているのは常に生理的欲求である。[投票]
★4監視者たち(2013/韓国)風采は上がらないが優秀な仕事人である班長ソル・ギョング洞口依子を元気溌剌にした風の女性室長チン・ギョンは、ちょいと特車二課の後藤・南雲のようでもあり、私の好みからすれば部下との/部下同士の関係などはややフレンドリーに過ぎるけれども、このチーム感プロフェッショナル感は落第ではない。 [review][投票(1)]