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[コメント] 劔岳 点の記(2008/日)

俳優や脚本家が監督する、それは自分だったらこうやりたいという理想の追求であることだろう。だが本作はそれとは様子が違う。これだけのキャリアを持つ木村大作だから、いまさら映画監督として名を成そうとは思ってはいまい。
shiono

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画における演出とは何か。役者による肉体表現があり、それを指導する演出家の存在がある。それらを記録するカメラマンと音声、照明がいて、その背景となる舞台を作り上げる装置家(大道具、小道具に加え衣装メイクも含めていいだろう)もまた忘れてはならない。もちろん編集も演出に大きな影響を与える要素となる。

と、こう考えていくと、広義の演出とは、まさしくキャストスタッフの集団による創作によって生み出されるものだということができる。映画監督は、それらに方向性を示し、数ある選択肢を絞り込んで決断する要職ではあるのだが、しかし作品は監督だけが生み出すものではない。

そうしたことを、木村大作はこの映画で示している。この映画の演出家を特定するならばそれは「劒岳」であると想定されているはずだし、そうした思いで彼はこの作品に取り組んだはずである。

イーストウッドが『グラン・トリノ』でそのスクリーン・ペルソナを静かに葬ったように、木村が映画人としてのキャリアの晩年を飾る作品としてこの映画を撮った、それならそれもまたいいではないか。実際に作品として形にするまでの労力は多大なものだったろうし、それだけ映画を心底から愛しているのだなぁと思うと実に感慨深い。

(以下は細部における不満点とまとめです。長いです。)

誰が撮っても同じ、というような作品にはなっていないが、それだけに現代の劇映画としての饒舌さ、洗練度という観点からは、随所に不満を感じるところがあった。

端的に言って、脚本を演出で膨らませるという行間の豊かさがない。例をいくつか挙げよう。

最初の手旗信号のくだりで、「ココヨリサキ キケン」のメッセージを受け取った松田龍平はライバル心を燃やし、その後の岩場登攀〜墜落のシーンに繋がるのだが、この岩場には山岳会がテントを残置している。松田がこのテントを発見する、というカットがあれば、「ここは自分が行きます」と無茶をするその心理がよりわかりやすくなっただろう。

この事故で負傷した松田が復帰し、浅野忠信らと合流するシーンもそう。メンバーが暖かく彼を出迎えるなかで、香川照之だけはテントから出てこず、道具の整備などしている。声は聞こえているはずなのに。

松田が担いできた「(香川の息子から託された)蒸かし芋」、および「自分にも子供が生まれたんです」という台詞がポイントだ。息子とのわだかまりを持つ香川だから、会話の輪に入ることを逡巡したのだろう。ここでテントの中の香川の表情をインサートすれば、彼の心理がわかりやすくなり、その後の息子からの手紙のくだりで情感が増すはずだ。

より残念なのは、ラストの手旗信号だ。くどい、長い。山岳会から測量部へのメッセージは「ミナサン オメデトウ」くらい簡潔なほうがいいし、返答もそれに応じたシンプルな方が粋というものだろう。付け加えれば、浅野が覗いている経緯儀は、実際に即して上下反転の映像にしたほうがリアリスティックでよいと思った。

キャラクターで不満なのは新聞記者新井浩文の扱いだ。軽すぎる。陸軍と新聞からバッシングを受けた浅野の心情的な味方は、宮崎あおい、小澤征悦、役所広司の三者といういわば元からの身内なのだが、ここで新井を山岳会と測量部に中立、かつ両者にシンパシーをもつ理解者として描いておけば、浅野ももっと自然な形で報われただろう。新井はいい役者なんだからもっと登用して欲しかった。

******

映画の面白さは、狙い通りに事が運んだ上手さ・巧さであり、その一方、計算外で突発的なその場限りの瞬間の記録、であったりもする。特に後者の魅力は時によっては神がかり的な言うに言われぬ印象を残し、それだけで映画全体を傑作に押し上げることすらあるだろう。

おそらく撮影現場特有の高揚といったものが、まれに想定外、予想以上の結果を生み出すということなのだろう。それは計算で作れるものではないが、その土壌をセッティングすることは不可能ではない。例えば、相米慎二の特に初期作品に見られる長回しという技法も、予想以上を期待したひとつの現場セッティングの方法論だと思う。

だから本作の劒岳である。巷語られている木村大作のこだわりもまた、撮影現場をいかに異質な空間に持っていけるかというその一点が目標であっただろうし、それ故ほぼ全編が山岳という異空間であるので逆にメリハリが利かず、その異質さがやや見えにくくなってしまった感もある。

(東京や、富山の山里のシーンは、演出力の欠落がモロに出てしまって平凡。役所広司は素晴らしいが、宮崎あおいに切手を舐めさせるシーンは変にいやらしい。)

それにしてもラスト近く、測量部が劒岳に登頂するくだりでの香川と浅野のやり取り、先行を譲り合う場面は、役者と役柄、映画と現実が呼応し交じり合う、実にリアリスティックな見せ場であった。

(評価:★4)

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