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[コメント] グラン・トリノ(2008/米)

決して完璧な映画ではないし、気になる粗もあるのだが、それなのにこれほどの豊かな余韻を得られたことが驚きだ。映画の何を知っていたのだろう、と実に新鮮な気持ちにさせてくれた新たなる傑作。(考察を追記しました。)
shiono

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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しかし謎の多い映画だ。アジア系アメリカ人俳優、ことに助演の姉弟アーニー・ハーとビー・ヴァンを抜擢した理由をイーストウッドに聞いてみたい。御大に物怖じしない若い世代を集めて、さして演出らしい演出もせずにさらっと撮ってしまったかのような、役者イーストウッドの慎ましくも誇らしい遺作、なのだろう。映画監督としての次回作が控えているから寂しくはないよ。

考察:師弟ではなく友人として

イーストウッド演じるウォルト・コワルスキーが、肉親とはぎくしゃくした人間関係を持ち、床屋や現場監督といった少数の友人(その中には愛犬も含まれる)だけを心の拠りどころとする孤独な老人であることは意外ではない。だが、それを出発点として、人種も文化も異にするモン族の少年との交流が深まる物語なのか?という想像は裏切られた。イーストウッドと少年は『ミリオンダラー・ベイビー』のような師弟関係にはならなかった。そこにこの映画の奥深さがある。

私の違和感は、タオ少年役のビー・ヴァンに、イーストウッドの弟子にふさわしいオーラが感じられないことから生まれた。映画をよく観察していくと、それが狙いであることははっきりしてくる。

まず、タオの家族構成である。あれほど婆さんに頑張られては、一対一の親密な関係性を築くことはできないだろう。「ミリオンダラー〜」の師弟関係は、この世の中はお前と俺だけ的な孤立感の共有があるから成立している。コワルスキーは、実の息子たちよりもよほどタオのファミリーにシンパシーを感じる、と台詞で語ってはいるものの、その実そこまで腹を割った一体感の描写にはなっていない。コワルスキーとタオ家との心理的な距離感は終幕まで縮まることはない。

彼らが、擬似的な父と息子(年齢的には孫だが)という関係性に至らないのは、男とはどうあるべきかと言って聞かせるエピソードからも感じ取れる。この一連のユーモラスなシーンは、人生とは何か、どう生きるべきかという大げさな説教ではなく、単に一人前の男同士の友人関係のあり方を示しているに過ぎない。

この映画において、なぜイーストウッドは師弟関係を拒むのか。彼はフォード社で働いていた叩き上げのメカニックという設定だが、愛車グラン・トリノの整備をタオに継承するつもりもなさそうだ。なぜなら、俳優イーストウッドはレンチではなく銃を握ってきたのであり、その手は機械油ではなく血で汚れているからである。若者に、人生の何たるかを語る資格はなく、ただ我が身を反面教師にすることしかできない。自分のような人間になってくれるな、というのが彼のメッセージであり、同時にそれを説教できる立場ではないというのが彼のジレンマなのである。

こんな孤独な余生で幕を引くのはあんまりだ。しかし、イーストウッドには、決して揺るがない信念というものがある。それは、自らが深く考え決断したことは誰にも邪魔されてはならない、ということだ。自由な意思とそれに伴う責任のすべてを我が身が背負うという矜持である。そしてその態度は、同様の信念を持つ他者を尊重するという意味でもある。

本作が、ジョン・フォード的な父と息子の物語(君主的)ではなく、ハワード・ホークス的な対等な友人関係(民主的)であることは見過ごせない。これは、同じく民主的な人間関係で物語を構築するスピルバーグ(『プライベート・ライアン』や『ミュンヘン』のチームワークのあり方を思い出して欲しい)とのコラボレーションによって培われたのではないだろうか。

アメリカ的な父権が、戦後というタームを経て、『地獄の黙示録』から『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』へ連なる狂気の王としてしか描かれなくなった現在、そのままで行けば『ダーティーハリー』の末路もまた暗澹たるものだっただろう。本作が俳優イーストウッドが安らかな眠りにつくにふさわしい映画であって本当によかった。

(評価:★5)

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