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[コメント] 苦役列車(2012/日)

幕が下りると、山下監督とスチャダラパーSHINCOのトークショーが始まった。そしてモヤモヤが、晴れていった。
林田乃丞

 少しだけ思い出話をします。ちょうどあんな感じのバスで、あんな感じの見知らぬお兄ちゃんやおじさんたちと、あんな感じの港にバイトに行く道のりの、そのバスの中のカーラジオで宇多田ヒカルの「Automatic」という曲をはじめて聴いたことをよく覚えているんです。耳に残る歌だなぁ、と思ったら、あの大ヒットで。二十歳かそこらの私は、集合場所だった津田沼の駅から茜浜にある流通センターまでバスに揺られて、一晩中あんな感じのクソ重い紙袋やダンボールを右から左に動かして、世の中のすべてを憎んでいて、当然、若くして大金をつかんだ宇多田ヒカルのことも憎んでいて。私が夢と思想に耽っているふりをしながら実は何の目的もなく茫漠と過ごしていたあの日々は、そうか苦役だったのかと、この映画を見て懐かしく思い出しました。

 あれから14年くらいたって、いろいろあって私もすっかりサラリーマンになることができました。珍しく早く仕事が片付いて渋谷の映画館にふらーっと入ったら、『苦役列車』のその回の後には、山下監督と、この映画の音楽を担当したスチャダラパーのDJ SHINCOがトークショーをやるという。たまたま入った回でそういうことがあるとラッキーだな、人生まだまだ捨てたもんじゃないなと思えるわけですが、このトークショーが印象深かったので、そのことを書きたいと思います。

 山下監督が、こんなことを言うんです。

「『モテキ』の森山くんが主演で、監督は『リンダリンダリンダ』の人で、音楽はスチャダラパーで、AKBも出てて……なんて気軽にデートなんかで見にきたらエライ目に遭いますよね、この映画は。あははは」

 そのほかにも「編集してるときに、大根(仁)さんがね」とか「いやー『天然コケッコー』のときはレイ・ハラカミが怒っちゃって大変だったんですよ」とか、そんな話をしてるんです。

 実はこの映画を見ながら、自分の二十歳くらいのころを思い出しながら、ずっとモヤモヤした気持ちだったんです。そのモヤモヤの原因が、トークショーをしている山下監督を見ていて、なんとなくわかったような気がしたんです。

 主人公は、何も持たず、何もなしえず、ただサブカルチャー的なオシャレ的な知的な何かに対してとか、あるいは他の何かに対してとか、とにかく激しく理不尽に怒っている。怒っている自分の理不尽さに自覚的でありながら、それでも世界をとことん憎んでいる。この映画は、うんこ人間が人前でうんこをして、自分でうんこを拭くまでの話です。確かにデート向きじゃない。

 だけど一方でこの映画は、すでに何かをなしえた人たち、自分たちが何者であるかを証明してきた人たちが作った映画だったんです。この映画の監督は、昔からファンだったというスチャのSHINCOと小粋な業界トークを繰り広げるハイカルチャーな文化人なんです。映画の中にも、その余裕が見えるんです。この主人公には似合わない余裕が見て取れる。森山くんは汚れ芝居を楽しんでいるし、山下監督は前田のあっちゃんやマキタスポーツを手のひらの上で好きなように操って、彼らをワールドの一員に仕立て上げている。

 つまりは、うまくやってるんです。うまくやれない人間のことを、うまく料理して映画にしている。職業映画監督としては当然のことなんですが、山下監督は森山くん演ずるキタマチカンタという人間が、AKB48の前田敦子(ヤスコではなく、前田敦子)と共存できるように、うんこ臭さの演出を調整している。もっとドライに冷酷に、ヒリヒリするようなギリギリのラインでうんこ人間を描いてきた山下監督が、数々の実績を重ねて初めてメジャーから仕事を請けて、そのうんこ具合を調整してるんです。いい感じに落とし込んでるんです。剥き出しの、素っ裸の、うんこはどこにもない。この映画は一見うんこ味のカレーか、カレー味のうんこに見えるけれど、その実、カレー味のカレーだったんです。なんだ、うんこじゃないのかよ、モヤモヤする!

 原作者の西村氏はあちこちでこの映画の悪口を吹聴しているそうです。山下監督は、いつのまにか『苦役列車』的なるものから、理由もなく憎まれる対象になったのだと思います。たぶん山下監督自身はあまり変わっていないと思うけれど(このトークショーの後もすごく丁寧にお客さんひとりひとりにお土産を手渡しながら挨拶をされていた)、社会の中で一生懸命仕事をして、その結果を認められて、さらに大きな仕事を任されるということは、理由もなく憎まれる対象になるということなんだと思ったんです。

 会社の仕事が早く終わったから渋谷の映画館に行く、などという生活をしているサラリーマンの私だって、14年前の“苦役”の中にいた私からしたら、それは憎いに決まっています。当時の自分が見たら殴るか刺すか自殺するような、プライドの欠片もないみっともないことも、平然とやってのけるようになりました。いつもニコニコするように心がけています。どうだ気持ち悪いだろう。だけどこっちからしたら、そりゃがんばってここまでなんとか生活を安定させてやったわけで、年収にしたら当時の3倍とかそのくらい稼いでるし、憎まれる筋合いはないし、大人になるってそういうことだし。ずるくても、そういうことだし。と、そんなことを考えながら家に帰りました。同い年の山下監督に、こっちは吹けば飛ぶだけのサラリーマンで向こうは国内でも指折りの映画監督なのに、勝手にシンパシーを感じていました。そしてまた次の日、普通に仕事に行きました。★4。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (9 人)べーたん おーい粗茶[*] みそしる 浅草12階の幽霊 ペペロンチーノ[*] セント[*] ぽんしゅう[*] けにろん[*] イライザー7

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