コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] アキレスと亀(2008/日)

北野武による久しぶりの物語映画は、12年前のあのセリフへの落とし前ではなかったか。
林田乃丞

 やっぱりこの人の映画は質量が違う、と思った。

 ビートたけしは今までに何度も「別に漫才師になりたいわけじゃなかった」と言ってるし、「映画監督になりたいと思ったことなんて一度もない」と言っている。そのくせ、喉から血が出るほど稽古を重ねながら「漫才師になりたい」と切望する凡百を蹴落として彼は漫才師になったし、書物とフィルムに埋もれて息が出来なくなりながら「映画監督になりたい」と絶叫する有象無象を横目で見送りながら映画監督になった。そしてごく当たり前に“天才”と呼ばれ、ヨーロッパに行けば巨匠として崇め奉られるようになった。

 才能について語るとき、たけしはいつもそれを努力と切り離す。努力が才能を超えるなんて妄言は絶対に言わないし、才能によって導かれる結果を無遠慮に讃えるような下衆な真似もしない。どんな夢物語だってきっと、下町のペンキ屋の倅が描いた人生の二次曲線にはかなわないからだ。

 たけしは自分の才能を自覚している。自分が激しい嫉妬と羨望の的にされていることを、明らかに自覚している。

 そしてたけしは今作で、その才能とはどんなものだったかを告白した。ひとつほめられれば調子に乗って同じ作風の作品をイヤになるくらい創り続けてしまうこと。流行を目ざとく監視し、何のヒネリもなく模倣してしまうこと。人の良い周りの人間を体よく利用し、自分の悪ふざけに付き合せていること。自分の才能が誰かを次々に不幸にしていること。そもそもそんな才能だって、ひとつの気まぐれによって開花しただけだということ。

 12年前、「まだ始まっちゃいねえよ」と言ってばつが悪そうに笑って見せた若者の未来が、この映画にある。あのとき、たけしは「若者の挫折は結果ではなく経過だ」と言った。

 久しぶりにたけしは、物語を撮った。物語を撮ったからには、これからまた、様々な解釈が押し寄せることになるだろうと思う。

 私が映画『アキレスと亀』を観て感じたことはただひとつだけだった。

「この人はここまできて、まだどこかに行こうとしているんじゃないのか。まだ、何者かになろうとしているんじゃないのか」

 ビートたけし、老いゆく希代の成功者。その才能との“折り合いの付け方”に、しばし思いを馳せた。

▼余談

 今作のパブリシティで、私は偶然にもたけしのインタビューに同席する僥倖に恵まれた。無数の取り巻きを引き連れてインタビュールームに現れたたけしは照れくさそうに笑って──まるであのときのシンジとマサルのように──オーラなんてまったく感じられない、ひとりの人間だった。

「バカヤロウ、まだ始まっちゃいねえよ」

 私の頭の中でたけしの声が鳴った。なんてこった、と思った。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)緑雨[*] きわ 甘崎庵[*] いくけん[*] 浅草12階の幽霊 TM

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。