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[コメント] Mr.インクレディブル(2004/米)

ピクサーとディズニーの綱引きが熾烈を極めたことは想像できますが、それにしても妙なトコロに落とし込んだなという。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 今さらながら、フルCGアニメってのはすごいですわ。表情もアクションのスピード感も見事と言う他なく、まったく時間を感じさせないつくりはさすがピクサー。この完成度だけで4点以上はまちがいないです。うーん、すごい。すごいのですが、極めて高度なハイテクであるCG技術がキャラクターや背景の質感をクレイ(粘土)っぽさに求めるというのは、何となく皮肉だなと感じたり。

 それはそうと、テーマ的にはずいぶんなトコロに着地したもんだと少々驚きます。スーパーヒーローを一歩掘り下げるという姿勢は理解できますが、絶対的な能力を「恵まれたもの」として家族の結束の道具に用い、全肯定するとは思わなかった。

アイアン・ジャイアント』の印象が強いのでどうしても引きずってしまうのですが、あのときホーガースが巨人に言い放った「なりたい自分になれ!」という言葉を『Mr.インクレディブル』の中でもっとも実践してるのは、実はシンドロームなんじゃないでしょうか。

 少年時代の彼は、本当に純粋な気持ちでヒーローになりたかったんだと思うんです。そのための努力だって惜しまなかったし、別に誰かを傷つけたりしたわけでもない。それなのに、あろうことかそのヒーロー自身によって警察に突き出されてしまう。

 心底憧れていたヒーローに冷たくあしらわれれば、そりゃグレますよ。グレるのが当然の人情ってもんです。

 例えば、貧乏な国でヒーローに憧れてた少年がいたとする。少年の仲間がある日、悪者に殺されそうになった。だが、ヒーローによって救われ、少年は自分もヒーローになって悪者をやっつけたいと思う。そう思ってがんばる。超がんばる。超がんばってヒーローに認めてもらおうと思ったら、ヒーローから「お前も悪だ」と烙印を押される。少年は信じていたものに最悪の形で裏切られ、この時点で少年の中でヒーローは死ぬわけです。そして、ヤケッパチになって破壊行動へ走る。自分が唯一のヒーローになるためだ。

 そんな少年を、ド正面から叩き潰してハッピーエンドって、どうなんですかこれ。

 もともと、ヒーローという「絶対的な力」の存在が、シンドロームを生んでしまったわけです。巨大な力は、その力の使い方を「間違わなくても、存在するだけで」罪になりうるということを、シンドロームは言っているわけです。「力」は原罪的であると。

 だから私は、少なくともMr.インクレディブル氏が、自分の存在こそがシンドロームを生んでしまったという罪をもっともっと深く感じて、自分が「力を持ってしまった」ということに対して苦悩するものだと思ったんです。「自分のような特別な力を持ったヒーローが存在しなければ、シンドロームという悲劇が生まれることもなかった」とまで思えとは言いませんが、せめて「俺のせいでアイツはグレちまった」くらい思ってもいいのではないかと。

 ところが実際のMr.インクレディブルはそんなことは思わない。問答無用でシンドロームをブッ殺してしまう。そしてラスト、妙な敵がふたたび現れたとしても、「俺たちの特別な力でまたブッ殺してやるから安心だぜ」というハッピーエンド。

 イスラム原理主義を生んだのはアメリカの絶対的な「力」の理論ではなかったか。その「力」が常に新しい罪をつくりだす危険を孕んでいることを一切省みず、ただ叩き潰してしまえばそれでハッピーなのか。繰り返される悲しみと破壊の連鎖も、我らがヒーローが「叩き潰し続ければ」人類はハッピーなのか。

 ブラッド・バードはインクレディブル一家を、明らかに人種を意識してキャラクター付けています。そしてその中には、有名な日本人も混じっている。彼女はテロとの戦いを通して自我に目覚め、自信を得て、ファミリーとして、一緒になって「力」を行使し、テロを叩き潰してゆく。

 この映画が投げかけるテーマは、非常にシビアで根深いと感じます。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)DSCH[*] りかちゅ[*] 4分33秒[*] けにろん[*] Myurakz[*] 平敦司

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