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[コメント] ベロニカ・フォスのあこがれ(1982/独)

見届けた後は、読んだ本を閉じるように元の生活へと戻るだけ。 しかし、蹴球場へ向かうように指示するその顔はやはり厳しい。
田原木

**ネタバレ注意**
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これは素晴らしい映画だ!!★6

注目したいのは、露出オーバーで撮影されている点。 このため、画面内の光源がまるで宝石のように輝き、また、登場人物が身に着ける宝石類もその輝きを増す。 これだけでもこの映画を見る価値があるんじゃないだろうか。 この光の表現は往年の大女優時代とうらぶれた現在を対比するという機能も果たしている。

往年の大女優時代といえば、ベロニカは自分が有名であることを自認しており、またそれを嫌がるそぶりを見せる。 もっとも、それはあくまで格好だけであり、彼女は昔の栄光を大切にし、できるならまたその身に浴びたいと思っている。 それは自分の映画を見に行ったり、雨でびしょ濡れの姿である自分がベロニカフォスであることを知られるのを嫌がったり、ブローチを売る店でのやり取り、ごねて手に入れた母親役を演じる上でグリセリンの使用を拒否するところなどから読み取れる。 自分の往年の姿を知らないロベルトに興味を持ったのも、この思いの裏返しともいえよう。 この時点では、彼女はもう一度やり直したい、やり直せるんだと、思っているわけである。

しかし、終盤、彼女は一世一代の演技でロベルトを裏切った際、涙を見せるのだが、すぐに涙を拭き、眩暈がしただけだという。 さらに、ここで人生は奇妙なものだと悟るようにいう。 この時点に至って、彼女はロベルトにうつしこまれた昔へのあこがれを振り切っている。 同じシーンを何度も取り直しされるなど、自分がもう女優としてやっていけないことがはっきりと分かってしまったことが原因か。 その後の引退パーティで、今までの登場人物に囲まれ、気だるい歌を披露し、実現しないであろう将来の展望についてインタビュアーに語るベロニカ。 残酷なラストを予想させる、酷く悲しいが美しいシーンである。

また、カメラも自由に、かつ、滑らかに動き回る。適時用いられる省略も効果的でありテンポも抜群。唐突に挿まれる大女優時代のベロニカの生活や豪華なパーティの回想も、その唐突さのために、さらに夢の中の出来事であるような幻想的な雰囲気が醸し出されている。カットの繋ぎ目も変化に富んでおり、かわいい。

ただ、残念に思った点がある。 それは、哲学的な発言をし、どこか浮世離れしている瀟洒な身形の老夫婦に関するものだ。 彼らは、自分たちが夢の中に生きていることを自認しているのだが、それには収容所経験という理由があった。 ここで、ファスビンダーは老人に饒舌にこの理由を語らせているのだが、これは如何なものか。 劇中、老夫婦の存在は強烈であり、観客の関心も高いキャラクターであっただけに、こうも明け透けに自分語りをされては興も少し醒めるというものである。 別に取り立てて批難する様なところではないが、もう少し表現の仕方があったのではないかなぁと唯一残念に思った点である。

最後にベロニカの死の真相を確かめた後、蹴球場に向かうロベルト。 ここで観客には二つの疑問が残る。 彼に、この事件へのこれ以上の介入を諦めさせたのはなんだったのか。 また、この事件を最後まで見届けたいと思わせたのはなんだったのか。 この答えは、ベロニカへの愛が醒めたこと、ヘンリエッタへの愛に目覚めたことにあったのではないかと私は思う。

見届けた後は、読んだ本を閉じるように元の生活へと戻るだけ。 しかし、タクシーの運転手に蹴球場へ向かうよう指示するその顔はやはり厳しい。

(評価:★5)

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