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[コメント] ポゼッション(1980/独=仏)

価値観が揺らぐとき、揺らがないときに関する映画だと思いました。
夢ギドラ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







不倫男の母の言葉と、夫妻の息子の健全さがたまらなく良い。 本作が言いたいことは、他人に対する価値観はきっと簡単に揺らいでしまうものですが、家族にだけは結局、どんなものを見せられても揺らがないのだということをわたしは感じました。

不倫男が、アジャーニに会いに行って、「さわぐな、力は僕のほうが強い」みたく言っているのだけれど、アジャーニの狂気に不倫男は気づいて、動けなくなってしまう。そして、無抵抗のまま刺される。強いんじゃなかったのかい?といいたくなる。”他人”である彼女の狂気を観て、精神的に揺らぐのである。一方、”家族”である夫は、彼女の狂気を観てもまったく揺らがない。

歪んだ世界観の中で、妻=夫=息子、不倫男=母親、の関係だけが、絶対なものであることが、つよく描かれています。本作は設定も演出も分かりにくい上、役者にむちゃくちゃなオーバーアクションをさせているような、不器用な映画なのだけれども、わたしの思うところの誠実さがある映画でした。

そんで、妻、夫、不倫男の三人(六人?)にとにかく気を取られます。 一人二役の妻(イザベル・アジャーニ)と保母さん(イザベル・アジャーニ)。妻は善と悪が分かれちゃったことを話していて、分かれて二人が実体化しているのかな。夫も二人いる。本人と、もう一人は妻の欲望が生み出した人間。不倫男も肉体が死んだけど、魂がどこかにあるとか。 とにかく、もう一人いる。しかも、劇中でもう一人いることの理由付けが、三人とも違う。なんとも一貫性がない。ボディ・ダブルの原因を、一作品にいくつも設定するなんて常識的にありえないよ、と思うのですが、おかまいなし。笑った。

(評価:★5)

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