[コメント] トリュフォーの思春期(1976/仏)
犯罪の計画にせよ、虐待の解明にせよ、来るべきものは判然としている。わからないのは、林間学校のキスで、その計画は悪意を思わせるようでいて、未来はまるで異なっている。
計画の可否をめぐって未来へ向かい、課題の回収のために過去を指向して錯綜する情報を統制した建物の立体構造は、また、受け手を驚かせるために、悪意と善意を連結する回廊をも隠ぺいするのである。
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