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[コメント] 才女気質(1959/日)

プログラムピクチャーの極点。中平康の最良の作の一つにして、限界か。
地平線のドーリア

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「すみずみまでみがき上げたいい仕事が出来た、と思いました」(「中平康自作を語る」より、『キネマ旬報』一九六二年春の特大号)

本人が語る通りの圧倒的なクオリティーだ。 21世紀現代の、演出も、脚本も、撮影技術も、美術も、俳優の演技も、ある程度目をつむって観なければ映画そのものに絶望するばかりの作品たちとはまるで違う。

例えば、登場人物のキャラの立て方、その芝居のアンサンブルの組み立て方、彼らの動きの捌き、それらを巧みに切り取るワイドスクリーンのフレーミング。全てが上手い。 芝居のテンポは音楽的ですらある。何より轟の歩く姿、そのととととっと歩くテンポ。それが黛の音楽とあいまって、とても愛らしい基調を作っている。

映画が始まって、最初のカットから凄い。 線路を挟んで、おそらく三条大橋を木屋町方面にパンしていくのだが、最初は京都の実景かと思う。僕は若干油断して観ていた。人が往来している。そして次に向うから何台かの車が来て、手前にフレームアウト。すると遮断機が下りて上手から京阪電車が通り過ぎる。遮断機が上がると、溜まっていた車と人とが流れて行くのだが、その中に轟がいるのだ、カメラ手前に来た轟をフォローしていくと、三条大橋と鴨川へ。

驚いた。 こう言ってしまえば、大した事はないのだが、まさかこのカットで主人公が登場するとは思わなかった。カメラはイントレに乗って、道の大向こうまで見えている。エキストラと車とを仕込み、さらには電車のタイミングを合わせて、途中できっかけを出し、轟を歩かせる。いかにも、中平らしい凝った段取りのカットだ。 このカットに代表されるように、この映画は中平康の方法論で貫かれている。

中平康は、シーンのつなぎについて、このように書いている。

「これには、私はひどく神経質である。殆どの場合、アップで終わらすなり、ダイアローグいっぱいで切るなり、何かアクセントをつけてしゃくらないと一つのシーンを終わらして次に受け渡す気がしない。そしてまた次のシーンはアップを受ければロングで出るか、あるいはまたアップでガチンと受けとめるか、ダイアローグをしり取りでとるか、あるいはカラーの場合、赤が基調となって終われば青で始めるとか、何か手を使わずにはいわられない。どうしてもオフビートするわけにはいかない。これは、私の生理的な好みだ」(キネマ旬報 一九五九年三月上旬号)

この『才女気質』はモノクロであるから、カラーの部分は置いておいておくが、その他の部分はすべからく実践されている。この語り口の巧みさは中平の作品歴の中でも、トップクラスだろう。 それは、中平の演出によるものだ。 役者たちも芸達者だが、セリフをしゃべりながら、お茶をいれさせるとか、按摩に揉ませるとか、会話の途中に舞妓達を乱入させるとか、舞妓たちに歌を歌わせるとか、またはあいさつとか戸を閉めるとか、そうした動作を必ず合わせている。これらの演出。豊かな身体言語がフレームに充満している。

さらに、写るものは全て、中平の美意識で徹底されている。 大坂が通うイノダコーヒー。古風さとモダンさを合わせ持つ京都の町並み。吉川満子の着物にモダンなストールをあわせる事。ホットケーキやパールカミソリという新商品。ゴルフに夢中な舞妓たち。 和風な部分も、決して汚くない。清潔感があり、品が良い。全体的に趣味の良いいもの、洒落たもの、スマートなものだけがある。それが中平の好みだ。

完璧だ。 同時に、「しかし…」、と思う。これで中平の方法論は完成してしまったのではないか。そして、これが限界だったのかもしれないとも思う。

この『才女気質』が公開された前後、今村昌平が、大島渚、吉田喜重がデビューする。 そして、中平は乗り越えられていった印象が強い。 例えば、それは、この新藤兼人が書いたシナリオにある、新旧の対立を最終的に丸くおさめる展開にも見出せる。大島らは対立は対立として相容れないものとして提示する。そうして日本映画に新しい流れを作った。だが、中平はそうではない。例えば、本作をそうして視点で、轟を一人旧世代の人間として、孤立させて終わることもできただろう。確かに、その危うさもある。例えば、世代は大分上だが、これを溝口健二が監督していたら、全く違うことになったろう。いわゆる彼のリアリズムでいけば、そういう展開はあり得ない気がする。だが、そうすれば、楽しい気分で映画館を出るような作品にならない。ウソでも、最後には才女として自信を取り戻した姿を見せ、対立が無かったかのように、新旧が共存した世界になる。ウソだ。しかし、それがソフィストケーションだ。中平は、本望だったろう。

だが、新世代が台頭し、中平は最先端ではなくなる。 初期にあれほどもてはやした批評家たちも、ただのプログラムピクチャーの監督としてしか見なくなる。そのことに焦りはあったのではないか。

同じく、モダン派として華々しく登場した同世代の増村には思想があった。彼は、「情熱」というキーワードで、どんな題材の内容でもドラマを熱く、厚くすることができた。彼の思想は、歴史や民族論などに裏打ちされていたからだ。また、後輩の今村は「欲望」というキーワードで土俗にまで視野を広げた。さらに、性をただのエロではなく、民俗学的にも捉える独自の身体論を併せ持っていた。この二人は大島らほど戦闘的ではなかったが、それぞれの世界を持ち得たし、作り得た。

中平には、思想はなかった。 圧倒的なセンスはあったが、主題論は余り好む所ではなかった。野暮であると軽蔑した。技術はあったが、自尊心が高すぎて、興味の無い企画ではふざけてしまった。遊びすぎてしまった。中平の鋭敏すぎる知性が仇になったのだろうか。増村は常に全力投球した。そこは、二人の大きな違いだった。

また、先輩の一人の川島と比べるならば、川島は青森という辺境から来たコンプレックスに裏打ちされた江戸趣味への耽溺、また彼個人の病気から来る、生きる悲しさもあった。川島には「敗戦後に生きる日本人の悲しさ」ということへのこだわりもあったようだ。

だが東京育ちで、ルネ・クレールとビリー・ワイルダーとシャンソンを愛した中平。兵士として出生した戦争体験も無い。左翼運動の挫折といった経験もない。トラウマなどとは無縁の幸福な家庭環境だったようだ。そういう意味では脆弱であったのかもしれない。

この作品の後、再び新藤兼人がシナリオを書いた『その壁を砕け』、橋本忍の書いた『地図のない町』と続く。 『その壁を砕け』は傑作だが、評価されなかった。『地図のない町』は若干構成の破綻もあり、また社会問題を扱った生硬さも否めない。何とか、次のステップへ行きたい中平のあがきだったのかもしれないが、そこには思想はなかった。

その後、裕次郎や会社の企画をこなしているという印象がある。 (『密会』や『学生野郎と娘たち』は中平らしいクオリティーの高い作品だが) 新藤兼人が自分で監督しようとしていた『当たりや大将』を監督したりもした。これも、焦りの現れのような気がする。

だが、六十四年に連発する性を取り上げた作品群は素晴らしい。 『月曜日のユカ』『猟人日記』『砂の上の植物群』『おんなの渦と淵と流れ』は彼ならではの代表作たちだと思う。思うに、性を思想として捉えるのではなく、彼の趣味で捉えていけばいいので、そのエロティシズムの追求を卓抜した技術で撮るのに、素材として向いていたのだろう これらには中平本来のハイセンスさ、シャープさがある。また、エロい。増村には、このエロさはなかった。彼にはフェティッシュな視点がなかったからだろうか。この7年後にロマンポルノが始まるが、それらにはない清潔感がある、品の良さがある。仮に中平がロマンポルノを撮っていたら、どうなったろうか?しかし、それは彼の美意識が許さなかったのかもしれない。

今日のシネマヴェーラはなかなかに入りだったと思う。中平を観たいと思う人は少なくないのだ。 そうした人によって、中平は評価されていくだろう。きっと『才女気質』は傑作として、今後の日本映画が決して到達できない映画として評価されていくだろう。だが、だからこそ、『才女気質』がある基準や指標となるべきだとも思うのである。

(評価:★5)

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