煽尼采さんのお気に入りコメント(20/41)
キング・コング(2005/ニュージーランド=米) | review] (磐井ガクラン) | 視線の交接への配慮。 [[投票(2)] |
キング・コング(2005/ニュージーランド=米) | review] (kiona) | オリジナル以上にコングが描かれながら、オリジナルのようにはコングのいる世界が見えてこない。 [[投票(11)] |
キング・コング(2005/ニュージーランド=米) | キング・コング』のリメイクではありません。『Peter Jackson's キング・コング』です。 [review] (甘崎庵) | これは決して『[投票(12)] |
山のあなた 徳市の恋(2008/日) | review] (ゑぎ) | 現在の製作状況でこれだけ旧作を映し取ることができたのだから、上出来だろうと思う。宿の前の往来がCG処理でもいい。(でももうちょっと上手くやって欲しいけど。)ロケーション撮影は美しい日本の自然が溢れており「やっぱり、総天然色もいいよなー」と一瞬だが思ってしまう。 [[投票(1)] |
フロスト×ニクソン(2008/米) | フランク・ランジェラの複雑で精緻な造型。役者へのディレクションによって映画を彫琢する力量において、ロン・ハワードは映画の王道を行く者の貫録を改めて示している。しかしニクソンが「対人的魅力を欠き、国民に嫌われた」というのはこの映画を見る限りでは説得力がない。このランジェラはとてもチャーミングだ。 [review] (3819695) | [投票(4)] |
フロスト×ニクソン(2008/米) | review] (ペペロンチーノ) | 映像の力を正しく理解しているロン・ハワード。 [[投票(3)] |
裏窓(1954/米) | セント) | のぞきという下種で趣味悪の見え見え好奇心をグレース・ケリーの美貌で相殺してしまうことでこの映画はかろうじて通俗性から脱出している。動かない室内劇だからこそ、ケリーの目の覚める美貌が必要であり、彼女そのものが動的なモノとして観客にアピールする。 ([投票(3)] |
裏窓(1954/米) | review] (スパルタのキツネ) | かゆ〜い!ほど、感じるラブロマンス。 [[投票(2)] |
チェンジリング(2008/米) | review] (緑雨) | 演出の完璧さについてすべてを語ることなど到底できないが、ここでは特にアップカットの使い方の素晴らしさに触れておきたい。 [[投票(10)] |
チェンジリング(2008/米) | トム・スターンの最高作であるのみならず、少なくとも二十一世紀最大の傑作。一点の迷いもない演出が複雑怪奇な物語を持った映画に澄み切った相貌を与えている。ヘンリー・バムステッドの不在を乗り越えて切り拓かれた映画の新地平。これこそが「映画」だ。「映画」とは『チェンジリング』だ。 [review] (3819695) | 見るたびごとに感動が増す。[投票(14)] |
チェンジリング(2008/米) | review] (shiono) | シングルマザーでなおかつ電信電話という先端企業の女性主任であるアンジェリーナ・ジョリーは、その先進性ゆえに事件の矢面に立たされているかのように見える(雑談を追記しました)。 [[投票(24)] |
丹下左膳餘話 百萬両の壷(1935/日) | review] (3819695) | 万人に愛される親しみやすさと巨視的にも微視的にも緻密な構成美を誇る最幸の親馬鹿映画。一般に「逆手の話術」と呼ばれる技法は台詞設計の妙である以上に、山中が「カッティング」の秘める可能性を知悉していた証左として理解したい。省略的に場面を割るカッティングによって現出する、美しき「溺愛」の情景。 [[投票(4)] |
アバター(2009/米) | review] (鷂) | 技術によってコーティングされ再演された「人間」の物語。それが未知との遭遇でないことだけは、確かなこと。 [[投票(4)] |
雨に唄えば(1952/米) | ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナーの和が生む魔法的幸福感。社長ミラード・ミッチェルも好ましい。むろん“Talkie Killed the Silent Star”という残酷譚でもあるが、ジーン・ヘイゲンの度量がその前景化を押しとどめる。同時に彼女は観客の同情を集めもするだろう。可愛げがあるからだ。 [review] (3819695) | [投票(4)] |
地球の静止する日(1951/米) | ジェリー) | この映画は冒頭部とエンディング部以外大半の部分はサスペンス映画である。物静かな得体の知れぬ隣人、逆光で見えない顔、尾行と追跡、女性に迫る怪しい物影。きびきびしたカット割と、光と影の強いコントラスト感が作り出すソリッドな映像は、今なお魅力的だ。 ([投票(1)] |
秋日和(1960/日) | 晩春』のよう」と指摘している映画であるが、ここでは娘の怒りの矛先を親だけに向けさせてはいない。二人の娘をここでは用意し、一人は親に、もう一人は親子を取り巻く社会(小さいがそれは社会だ)と対決させているところがこの映画のオリジナリティ。 [review] (ジェリー) | 監督ご本人も「『[投票(7)] |
麦秋(1951/日) | review] (3819695) | 感動的だ。何もかもがまったく感動的だ。この感動は「映画は映画である」という命題がこの上なく力強く肯定されたことへの感動でもある。 [[投票(2)] |
麦秋(1951/日) | review] (ペペロンチーノ) | カメラのフレームの中と食卓という輪の中を人が出入りする物語。 [[投票(9)] |
麦秋(1951/日) | 東京物語』と並ぶ完成度だろう。プロット構成や人物の深みの点でも画面のスペクタクルという点でも最も均整の取れた豊かな映画だ。 [review] (ゑぎ) | 小津の中では『[投票(15)] |
晩春(1949/日) | review] (づん) | 行き遅れ気味の独身女性が見るにはあまりにも辛すぎ、そして優しすぎる。泣き死にしかけた。 [[投票(16)] |