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[コメント] フランケンシュタイン(1994/英=米)

狙って撮ったのが見え見えな演出の生硬さや、逆に、もっと巧く撮るべき箇所の凡庸さが気になる。必要以上にやけに回転するカメラワークは何か面白い。凧も機械装置も大回転。クリーチャーの特殊メイクはそれ自体がなかなかに雄弁な表現。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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クリーチャーは元々、ウォルドマン教授の科学的なコレラ予防措置に抗って彼を刺殺し処刑された、無知な男。その彼が、皮肉な事にウォルドマンの脳を与えられ、更には、コレラで死んだ患者の遺体の一部を縫い付けられる。ウォルドマンも、人造人間の研究という禁忌に手を染めた科学者であり、世から疎まれる感染病患者や犯罪者といった者たちが繋ぎ合わされたクリーチャーは、人間社会からの疎外の集合体のようなものだ。

ヴィクターの母の出産シーンで、その夫である医師(ヴィクターの父)は、上半身裸で血にまみれ、まるで彼自身が妻の腹から産み落とされたかのようだ。この難産の結果、彼女は、子の命と引き換えに落命する。生と死の交錯。ヴィクターはこの出来事によって、科学的に死を克服しようという思いにとり憑かれる訳だが、その彼が人造人間を生み出した際も、上述の場面での父と同様に、上半身裸の格好をしている。尤もヴィクターは、血の代わりに粘液にまみれているのだが。

クリーチャーの特殊メイクはなかなかの匙加減で、演じるデ・ニーロやヘレナ・ボナム・カーターの顔を覆う、生々しい血の色をした縫い痕、表情が分かる程度に歪んだ相貌など、忌まわしさと共に哀れみをも覚えさせる、優れたメイクだ。

クリーチャーの許から逃げ出したヴィクターが、部屋でエリザベスと再会する場面では、互いに駆け寄った二人が、薄暗い室内に一点だけ光が射したその場所で抱き合う。後に二人が決裂しかけた場面では、切り返しショットが繰り返される対話中、ヴィクターの背後には、彼の懺悔の念の証しのように、十字架が見える。弟のウィリアムや恋人エリザベスの死の場面では、どちらも赤い衣装を纏っていて、血の色を意識させる。特に後者の場面では、ヴィクターが彼女を抱えて階段を上り、長く垂れ下がった赤い布地が階段の上を滑るさまが印象的に捉えられていた。狙いすぎのベタな演出にも思えるが。

また、ラスト・カットでの、吹雪で霞んだ視界の先に、河に浮かぶ氷の上で燃えさかる炎が見えるショットの幻想性や、ヴィクターが狭い円柱状の講義室で講師に絡む場面など、地味ながらも視覚的に訴える映像が幾つか見られたのは嬉しい。

だが、これはどうかと思える箇所も多い。ヴィクターの屋敷の、舞台美術風にこれ見よがしに在る長い階段。クリーチャーが、炎上する小屋の前で復讐を誓う場面と、それに続く、彼が雪原を行く姿を俯瞰で、劇中多用される回転するカメラワークで捉えたショットの、映画的ショットとしての知性が欠落した感触。弟の死に呆然とするヴィクターの背後からクリーチャーが登場するショットの、演出的な雑さ。

(評価:★3)

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